マイケル・サンデル『実力も運のうち』

マイケル・サンデル『実力も運のうち』 評論

マイケル・サンデル実力も運のうち』読了。

ベストセラーではあったはずですが、ツイッター上でもそれほど多く感想を目にすることもなかったせいか、しばらく放置しておりました。
まあ、自分のTLは、右も左もカバーしているとはいえ偏りがあるのでいわゆる世間一般とはズレているのでしょうけれども・・・。
それでも橘玲氏の『無理ゲー社会』で取り上げられていたので、今回読んでみることにした次第です。

本書はあくまでも現在のアメリカで見られる分断について、その来し方を分析しています。
なので、日本での事象のあれこれをこの図式で切り取って批判するのには、かなり吟味は必要でしょうけれども、それでも国内のリベラル系の論者から本書についての評論をあまり見ないのは、それなりの理由があったのかな、と。

アマゾンレビューでは、発売日に買ったという読者の方が、

「機を見るに敏な日本の社会学者や哲学者は、このサンデルの著作を読んで「転向」できるだろうか?それとも不都合な真実から目を背けるだろうか?はたまた「『実力も運のうち』であっても、偏差値の低い人間は野蛮だ」と自らの主張との折り合いをつけるだろうか?」

と書き込んでいましたが、ベストセラーではあったはずなのに、上述のようにあまり取り上げた文章を目にしない、という現状は、上記の3つのうちの2番めに相当する事態だったでしょうか。

それはそれとして、日米の環境の差異・論壇の差異を考えてみるのもまた面白いとは思いますが、ひとまず、アメリカの今を切り取るということで言うと、トランプの(2016年の)当選、ヒラリーの不人気、そして今回の大統領選で民主党がバイデンであった理由もまた、本書でようやく腑に落ちた思いです。

基本的にはアメリカのメリトクラシーとそれがもたらした社会の分断についての分析で、冒頭、日本でもニュースで話題になった、アメリカの名門大学への不正入試を扱うところから始まります。
実は、あのニュースに関しては、よく意味がわからなかったんですよね。
というのはアメリカの名門大学は、寄付金を積めば入れるというのはよく聞く話なので、なんでそんな入試の不正があったのか、というかどこに不正が入る余地があるのだろうか、と不思議に思っていたのです。
本書では、巨額の寄付をすれば入学資格を満たさない志願者でも「裏口」から入学できる場合があるのは周知の事実としても、当該の不正入試の黒幕であるシンガーは、それよりも費用対効果の高い「通用口」からの入学を売り込んでいたと、解説されています。
なんでもこの「通用口」入学の工作に比べると「裏口」入学は「10倍のお金」がかかり、しかも確実ではないのだとか。
で、この「通用口」の工作の手口ですが、その工作資金でスポーツ経験がない学生であっても、スポーツ推薦で入学させるための枠を買い取ったり、試験に手心を加えてもらったりといったことをするのだそうです。
で、それは不正にあたる、として告発された、と。
まあ、それが「裏口」に比べて不正なのか、とかいう議論はあるでしょう。
ただ、この事件を通してサンデル教授が言いたいのは、富裕層が自分の子供に与えたいのは、単なる裕福な暮らしではなく、名門大学への入学が与えてくれる「能力」の証なのだ、ということでした。
以前ツイッターでも見かけましたが、子どもに安定的な将来を提供したいなら、別にサピックスに課金を続けなくても、収益不動産のいくつかを相続させればいいだけじゃないか、みたいな話なんですが、彼らが求めているのはそうではないんじゃい、ということですね。

でも、不正であろうとなかろうとスポーツ推薦枠で入学したら、それはアスリートとしての入学になりますよねぇ。
その大学へ学力で入学したという評価にはならない、本書の言葉でいうところの能力主義の威信は得られないんじゃないかという気がするのですが、そこはどうなんでしょうか、という気はしました・・・。

いずれにせよ、富裕層をしてそのような行為に走らせる、そしてそれが非難され、不正と告発される背景には、学位が「能力」の現れだとする価値観と、そしてその「能力」こそが成功のための鍵となる能力主義社会化が進んでいる現在のアメリカ社会がある、というわけですね。

そこから、個々人がその「能力」に応じて評価されるべきだという考え自体への問いと、その考えの源流についての解説がなされます。

(なお、邦訳で「能力」とされているのはメリトクラシーが一応は能力主義と訳されているからですが、そこに少し問題があるのでは、という指摘が巻末の解説にはあります。章によっては「功績」などと訳されている箇所もあります。メリトクラシーには、日本語で言う能力主義と成果主義の合わさったような意味があるのでしょう。)

それは横においておくとして、サンデル教授は、マックス・ウェーバーの解説にまで遡り、ピューリタン的な、懸命な労働による富の蓄積を救済のしるしとみるような姿勢が、現世での経済的な成功が誰が救済されるかの目安になるといった見方に転化したとき、そこにはすでに能力主義的なものはあったのではないか、としています。
そこに冷戦終了後の市場万能論がアドオンされると、グローバルレベルでの「能力」による序列化が進展した、と。
すべての人びとは、身分や人種、宗教や性別・性的指向によらず、グローバルにオープンに「能力」によって測られ競争されるというのが、能力主義社会の理想でしょう。
それゆえに、よく見るリベラル側の主張は、あらゆる差別に反対し、同一機会を人びとに提供することに主眼がおかれるわけです。
そして、その競争の中で自らの才能とそれを磨いた努力により勝者となったものが、富と地位と名声を独占する、と。
また、彼らは能力主義社会自体は正しいと考えているので、そこからこぼれ落ちた人に対しては、学習機会を提供するという以上の提案はありません。
しかし、民主主義社会においては、過半数がこぼれ落ちた人だったら、そのやり方は維持できない、ということが顕になったのがトランプ現象でした、と。
言われてみれば至極当たり前の話なのですが、民主主義では多数派が権力を持つのですね。
アメリカ人の成人のうち四年制大学を卒業している者は三人に一人程度だということです。
それを踏まえれば、民主政であるかぎり、純化した能力主義社会は、どこかで破綻する仕組みだったのでしょう。
サンデル教授はメリトクラシーという語を生んだマイケル・ヤングが述べた言葉を引用し、能力主義社会で評価されなかった人びとの言葉を代弁します。
「能力をあまりに重んじる社会で、能力がないと判定される」のは辛い、と。
彼らは、能力主義社会の伸展を求めないでしょう。
トランプの演説の人びとの心の掴み方、ヒラリーの驕り高ぶる様が、これでもかと事例として挙げられています。
今回の大統領選で、民主党が立てたのが、認知症が進んでいる、とか、スリーピー・ジョーと呼ばれている、とか、常に対する候補からは揶揄されてきたバイデンだった理由も、本書でよくわかりました。
もはや、候補者がエリートであってはダメだったのですね。
彼は「36年ぶりのアイビーリーグの大学の学位を持たない民主党大統領候補」だったそうです。

学生時代に佐藤俊樹先生の組織理論の講義を受けました。
日本の学歴社会がテーマだった回でのことを思い出します。
佐藤先生からは、なぜ日本では学歴が無意味だという語りがもてはやされるのか、という問いかけがありました。
日本のメリトクラシーについての本を題材にした発表と議論が為された後、先生の主張としては、日本ではすべての生徒がそのピラミッドへの参加を強制されるから、というものでした。
比較としてイギリスや欧州の話があったのかな?
ドイツなどは顕著ですが、かなり早い段階で専門職に進む人間とエリート候補として育てられる人間とは分けられるし、全員が受験に臨む、とかいうわけではありません。
日本のようにほぼ全員が受験勉強をして、偏差値で輪切りにされ、個々人が相応の高校に進むなんていうわけではないですよ、と。
日本の場合は、学力による序列が全面化されていて、誰もそこから降りられない以上、それを無効化する言説が生まれるのだ、という話でした。
20年以上前のことで、今から思えばまだまだアメリカも学歴社会化は顕著でなかったし、受験も牧歌的でした。
日本でも地域差とか階層とかいう議論がメジャーになる前でしたね。
「不平等社会日本」みたいなキーワードとともに先生自身がメジャーになっていったのは、ゼロ年代に入ってからと思います。
あれから幾年。グローバル化というのは、能力主義の全面化が日本だけでなく全世界レベルで進んだ、ということですね。
そりゃこぼれ落ちた側からしたら辛いでしょう。
で、非正規で苦しんでたら、竹中に若者には貧乏になる自由がある、とか言われるという。
いや、そうじゃないだろう、と。

でも、そういう全面化から降りる術としてサブカルってのがありまして。
日本のオタク文化はそういう土壌から生まれた側面もあったのでは、と思います。
一億総オタク化とは、「能力」を測るものさしが無限にある状態だと言えないこともないわけです。

サンデル教授の本書での論点は、能力主義が伸展し、こぼれ落ちる人びとが過半を占めてしまった結果、その反動がやってきた、という点と、能力主義が尺度としている個人の所得は、その人が備えた正義だとか共通善だとかいったものとはイコールではない、という点です。
そこから先の別の尺度についてまでは議論は進んでいないのですね。
稼げない職であっても敬意を持つべきだ、とかそういう話でお茶を濁すというか、そのあたりまでです。
まあ、哲学の先生なのでそうなるのでしょうけれども。
その意味では岡田斗司夫の評価経済社会みたいな枠組みのほうが、日本では受け入れやすいのかな、と感じます。

学生時代にインド旅行をしました。
インドと言えばヒンズー教ですが、訪れたムンバイの街は、仏教徒も結構います。
聞けば、カースト制度で下層だった人が、信仰を仏教に転ずるケースが多いのだとか。
まあ、わざわざ自分を低い身分に置き留める宗教を信じ続ける意味なんて無いですからね。
街で、タクシーの運転手に「お前はどこの宗教だ?」と訊かれ「仏教徒だよ。」と答えたときに、少し見下すような表情をされ、「何にせよ、信じるものがあるのは良いものだ。」みたいなことをインド英語で返されたのを覚えています。
自分はヒンズー教の価値観では生きていないし、カースト制度の埒外ですから、そんな視線も「世界観が狭いなあ」で切って捨てることが出来ます。
ええ。見下されたままでいる必要なんかないのですよ。
気に入らなければ違う評価軸で生きれば良いのです。

とまあ、そういうわけで、私自身はアメリカほどは今日の日本には絶望していません。
極論言うと、Fラン卒だけどオレの同人誌、即日完売なんだが?
みたいなことが起きるのは、日本のほうが多いんじゃないかと。

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