橘玲『無理ゲー社会』読了。
タイトルがキャッチーで、もはやタイトルオチみたいなところはあります。
ベースとなる主張・知見については、これまでの著者の本の読者であれば特に新しく感じるところはありませんが、こういう上手さは、もともと編集者だったところから来ているのでしょうか。
「黄金の羽根」とか「働き方X.0」とか、いずれもコピーとしても秀逸ですよね。
で、秀逸すぎて、以前の作品と主張が変わってません?とまで思ってしまうことも。
つい最近『人生は攻略できる』という本を書いていたのに、今回は『無理ゲー社会』ですか?と。
やはり同じことを感じた人はいるようで、アマゾンレビューでも同様の突っ込みがありました。
もちろん、必ずしも両者が対立するわけではなく、たとえ「無理ゲー社会」だとしても、個人として人生で勝つことは可能なのでしょうし、これまでの著作ではそういうTipsが書かれてきたようなところはあります。
アマゾンレビューに限らず、彼自身のブログのコメント欄でも、彼の主張に反発する人々の書き込みは多いのですが、多分に中身というより、このキャッチーなコピーに対しての直情的な反発もあったりするのかな、という気がしています。
中身を読んでいたら、そういう感想にはならないだろうというものも散見され、その意味でも、本書にあったように、「日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない」のかもしれません。
例えば、とあるアマゾンレビューで、「この本では社会問題を都合よくリベラルのせいにしている」とあるのですが、著者はそのようには書いていないと思うのですね。
そもそも著者は自身の信条をリベラルであるとしています。
本書を読む限り、著者の主張は、リベラル化の伸展によってもたらされた社会問題はリベラルな政策で解決することは出来ないのではないか、ということに過ぎないのではないでしょうか。
もちろん、それが正しいかどうかという議論は別にしないといけません。
そんなことを言ったら、原理的には資本主義の伸展によってもたらされた社会問題は資本主義によっては解決できない、という主張も成り立ちえるでしょうし、となれば共産革命待ったなし、みたいなことにもなりますからね。
とはいえ、本書のなかで、革命とまではいかないまでも、所有することに罰があたえられるような仕組みでなかなか面白いと感じたのが、「共同所有自己申告税」というもの。
すべての私有財産に定率の税をかけるというものです。
言ってしまえば、不動産にかかってくる固定資産税の枠組み、すなわち持ってるだけで毎年税が課されるという制度を、すべての私有財産に広げてしまおうというもの。
私有が忌避されそう、という意味で自発的に共産主義っぽくなるというか。
ただ、それをやると、ますます消費は減るだろうな、と。
富裕層からのトリクルダウンとやらがあるのかどうかという議論は脇においておくとしても、どうせ税金がかかるなら、ということで、金を産まない私有財産は買わないという風潮になりそうな。
となると結局、現預金・有価証券に溜まるだけなんじゃないかという気がしますが、そこに降って湧いてきている例の高市さんの「現預金課税」という話。
世の中はそっちに向かいつつあるのでしょうか。
コメント
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