外山薫『君の背中に見た夢は』読了。
タワマン文学の第一人者、窓際三等兵こと外山薫さんによる単著二作目は小学校受験のお話。
主人公たちの住む家は都内の戸建てで、すでにタワマンですら無くなっとるやんけ、というツッコミを入れたくなりますが仕方ありません。
タワマンに暮らすパワーカップル程度では小学校受験は無理、ということかもしれません。
そういうレベルのお話なのでしょう。
主人公こそフルタイムで働く共働きママですが、仲良くなるママ友は、東大卒弁護士の奥さんである典型的なお嬢様(初等科から学習院)と美容室経営の成金実業家の奥さん(北関東の元ヤン風味)。
もしかしたら外山さんがこのテーマで小説を構想し始めたときには、今回もタワマンを舞台にした作品で考えていたのかもしれませんが、調査を進めていくうちに、これは湾岸あたりのタワマンの住民という設定では無理そう、と諦めたのかもしれません。
タワマン文学にしろ、X(旧ツイッター)でのタワマン厨の語りにしろ、傍から見ていて面白いのは、勉強だけを評価軸に頑張ってきて、それなりの学歴とそれなりの就職先とを得た面々が手にできたのが、湾岸のタワマンの一室でしかないことの物悲しさだったりするわけです。
そしてそこで暮らす人々の嫉妬やマウント合戦。
その道具としての中学受験。
著者としてはそのあたりのことは、前作の『息が詰まるようなこの場所で』で書ききったということなのだろうと思います。
新しいテーマに取り組んだのは素晴らしいですよね。
それでも、アマゾンレビューでは「小学校受験のことも有職者の女性も小説のことも舐めている」と書かれてしまうのが商業出版物の辛いところ。
確かに総合職のキャリアウーマンである主人公の会社でのエピソードが、会社でのプレゼンでのPC操作でのミスとかそんなものでしかないのは疑問、というのはわかります。
でも、窓際三等兵殿の日々のXでの投稿を見る限り、いたって普通のJTCにお勤めのご様子。
そんな現役サラリーマンの描く優秀なキャリア女性像のお仕事がこの程度だということこそが、いわゆるJTC界隈の限界なのかなぁ、なんてことを思いました。
レビューにあるように、描写が現実に即していない、というのではなく逆に現実に即しすぎているのでは、と。
受験シーズンとはいえ結構有休を使いまくっているし、そういう働き方が当然の環境なのだとしたら、そりゃ日本経済は成長しないのでは?と思ったのでした。
今や働く女性にとってJTCは、営利法人ではなく福祉法人。
男女共同参画社会の旗印のもと、至れり尽くせりの恩恵をうけることのできる組織です。
自分の妻は、いわゆる外資系金融のバックオフィスでしたが、とてもじゃないがこんな勤務形態は無理だったろうと思います。
なので、うちは子どもができたら共働きは無理だと考えていましたが、実際にはその前に本人が体を壊して引退することになりました。
最終出社日はみんなに見送られての退社でしたが、リーマンショックの後なので、解雇でない退職は珍しいよね、みたいな空気感だったとか。
話がズレました。
小学校受験のお話でした。
その狂気を描きながらも、プレイヤーたちにとってはその経験のすべてが無益なものだったと考えるのはあまりに虚しいので、何にせよ何かに打ち込んだ過程が大事なのだ、みたいな話の落とし所は『翼の翼』とか『勇者たちの中学受験』でもあったもので、目新しさはありません。
ただ、読者はそうは思わないだろうな、というところまで見透かしたうえで登場人物にそのセリフを言わせているような筆致で、まあ、そこは窓際三等兵さんの本音なのでしょう。
ちなみに麻布競馬場さんの二作目は直木賞候補になりましたが、本作はなっていないようで・・・。
外山薫先生の次回作に期待しながら読む一冊。