相場英雄『Exit』を読む。
藤巻さんチックな感じがあるなー、と思ったら、案の定巻末の参考文献に挙がっていて、少し頭を抱えたり。
本の帯には、「世界中に火種はあるが、一番ヤバいのは日本だ」とあります。
もちろんそんなことは無いのですが、そんな自虐を真に受けちゃうのが一番ヤバそうではあります。
わかって自虐的に言っているのであれば良いのですが、本書の主人公はそうではなさそうな設定です。
本書の最後にこんなセリフがあります。
<永久国債導入に向けてのステップ(仮)>
「なんですか、これは。ひどい」
(中略)
「絶対にダメですよ。認められません。阻止します」
どこまでが取材に基づく実話なのかフィクションなのかわかりませんが、日銀マンたちの考えるセントラルバンキングのあり方というのも、やっぱりこんな青臭いものなのでしょうか。
学生時代の同期に日銀勤めだった子がいて、(こういうこというと今日では色々と差し障りがあるのですが、)女性だったこともあり、早々に出世コースからは外れていたのですが、それゆえに斜から見ている周りの日銀マンの生態を、飲み会で面白おかしく教えてもらうことがありました。
昇進できなかっただけで鬱になって出社しなくなっちゃった上司の話とか、ウブというか民間ではちょっと考えられないような精神構造をお持ちの面々のトホホな話を結構聞きました。
けれど、そういう人々が集まって意思決定をして経済活動の方向性が決まるというのは、改めて考えると恐ろしい話です。
別に陰謀論を持ち出すまでもなく、日銀マンは真っ直ぐで正義感が強く、そして青い。
そして、彼らの仕事は通貨の信認についての番人ということになっていて。
FRBは、通貨の信認だけでなく、失業率にも目を配らないといけないので、そこが日銀と違う、と昔職場の先輩に教わりました。
日銀にそれらへの意識を通じた庶民の暮らし向きの向上とか経済の繁栄とか、そういうことへの関心が低いように見えるのは、それが業務の目的に書かれていないからなのでしょう。
関心があるとすれば、通貨の信認が崩れた結果として人々が苦しむことについてのそれであって、通貨の信認が守られるなら、他のすべてが犠牲になっても気にしなさそうです。
そのあたりはプライマリーバランスの黒字化がすべてに優先してしまう財務省も同じかもしれませんが。
FRBの議事録をすべて真面目に読んだことなんてありませんが、それでも巷に出てくる分析の中で、失業率・平均時給・雇用の質といった面が必ず触れられるのをみると、彼我の差は大きいな、と感じます。
よく言えば日銀マンは与えられた職務に忠実。真面目。
だったら個人所得の伸びとかも中銀の仕事の目的に加えてあげれば良いのにな、なんて思うわけですが。
そうしたら彼らの行動も変わるのではないでしょうか。
今や、通貨の信認だけを気にしているのが中銀の正しい姿であって、そこから逸脱している現在の姿は異常である、という前提そのものをちょっと疑ってみても良いように思えます。
主人公を含めた日銀クーデター派が言っていることは、公道は制限速度で走りましょう、以上のものではないのですね。
公道でレースをするとき、誰もがずっと制限速度で走り続けるなら何も問題はありません。
というか、それだと先に走り始めた車がそのまま一位になるだけで、面白みもないかもしれませんが。
いや、ちょっと例が不適当でしたね。
不謹慎ですが、こんな例はどうでしょう。
震災直後の場面を思い出してみましょう。
後ろから津波が迫っていて、そこを車で逃げるというとき、やはり制限速度や信号を守って走るべきでしょうか。
それでも日銀マンだったら、通貨の信認のためなら、と溺死する道を選んでしまいそうですが・・・。
レースであるならば他国との駆け引きだったりバカしあいだったり、たまにはグレーなことをしたり、他国を怒らせてでも、その競争に勝って日本経済を繁栄させてほしいわけです。
リーマンショックを受け、各国の中銀が紙幣を刷りまくっているときにも、淡々とオペレーションをこなし、結果として鬼のような円高で産業を潰してしまったりとかいうことは、やっぱり避けて欲しいのですね。
いくら正しくても、経済を殺してしまっては仕方ないわけで。
「ハチに刺された程度」のはずが一番被害が大きくなっていたりするのは、やはり残念に思います。
鬼平が退治した日本のバブルから30年以上経つわけですが、その間に世界で起きたいくつものバブルは、いずれもそれとは比べ物にならないほどの大規模で、けれども後始末にかかった期間ははるかに短く。
なおかつ日本はそれらのバブルによる恩恵もあまり受けていないのに、弾けたときは同じように被害にあってしまうという・・・。
彼らは、判断基準に中銀としての正しさを置くあまりに、金融政策もまた相対的なものだという視点が欠けているのかもしれません。
本書でも、最後には麻生さんがモデルなっていると思しき財務相に、コロナ禍の今、正論で経済を潰すことの愚を示されてしまっております。
でも、この結末ってたまたまこの小説が連載されていた時期にコロナが発生したからこうなったわけで、そうでなかったら、どういう風に結論を持っていったのかな?なんて、ことも考えてしまいました。
現実が虚構をあっという間に追い越してしまったこの一年を、多少無理目に並走させながら、最後苦し紛れに終えた感もあります。
巻末の情報によると、元々の連載は『日経ビジネス』の2019年10月~2020年10月とのこと。
コロナで小説を書くのは、まだまだ難しい。
作家泣かせの今日このごろです。
日銀の金融緩和の功罪についてのもう少し冷静な議論については、森田長太郎『経済学はどのように世界を歪めたのか』をお勧めしておきます。
コロナ以前の書ですが、平時でこんなに緩和してたら、未曾有の事態になったらどうすればいいんだ、という至極まっとうな危機意識で、もしかしたらこの『Exit』も、当初はそのあたりを書くのが主眼だったかもしれません。
その意味でも、未曾有の事態が現在進行系で起きてしまっている今、それを書くのは非常に困難な仕事だということがわかる一冊。
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