燃え殻『これはただの夏』読了。
一冊目から三冊目まで、本ブログでレビューをさせていただいた燃え殻さんの最新作。
今回は、小説としては二作目。
SPAでの連載コラムをまとめたエッセイでも、本作を書くのに苦労している様子が度々報告され、一時はもう彼の小説には出会えないのではなかろうかと思ったりしたこともありましたが、無事刊行されましたね。
「ただの夏」と言い放ち2018年の夏の思い出という形式。
これが2021年の夏に出版されたのも、なんというか思うところがありますね。
そして、この作品の執筆中、書けない書けないと唸っていた時期には緊急事態宣言が出ていたりしたわけで。
物語の中では、再来年には東京でオリンピックがある。だけど、別にオレたちには何も関係ないだろうな、なんて思いを登場人物に吐かせるわけですが、今から振り返るとそんな他愛のない会話こそが貴重な日常だったと気付かされるという、ある意味コロナ文学です。
昔、昭和20年8月5日の広島の一日を描いた「あした」という舞台を見たことがありますが、そこまで大げさではないにせよ、区民プールでわいわいなんていう描写は、そういう感を抱かせます。
コロナが収まったら、あんな夏は戻ってくるのだろうか、なんて考えてしまったのですが、読み終えてからよくよく考えると、コロナ前でも、自分はあんな日常は送っていないのでした。
自分は別にテレビマンでもなければ、そもそも独身でもないのでした。
それでも、なんとなく感情移入できてしまうのが、燃え殻作品の読ませるところ。
年齢が近いということもありますが、ダメ人間としてのオルタナティブな人生を夢想するのにちょうど良いのですね。
そして、そんなダメ人生を送っていたとしても、結構人生楽しめるんじゃないかと思えてしまう救いがあるところも。
でも、ほんとはそれも、彼でしかなし得ないことなのでしょうけれど。
自分が実際にその道に進んでいたら、職場と家の往復で何の出会いも無かったことでしょうから。
ストーリーを説明しろと言われたら、夏の初め、ひょんなことからトップ風俗嬢とネグレクト気味の小学生女子と出会い、色々と振り回され、そして夏が終わったら、彼女たちはいなくなり、そして親友というか戦友というか、取引先の一人の旅立ちを見送った、という、ただそれだけ。
ただそれだけなのですが、肉体的にも精神的にも疲労が染み込んだ文体というのでしょうか。
疲労感とともに、日常のどうしようもなさが言語化されて、その一言一言が思わずニヤリ、という。
中毒になりますね。
それから、本文ではあまり深く描写されていませんが、気になるのが優香の境遇です。
鈴木涼美女史のように、恵まれすぎているがゆえでもなく、男に騙されて借金を背負ったとかいうわけでもなく、中堅どころの家庭に育って女子大を出て、特に何があったと匂わせることもなく、今は風俗で働いている、という設定。
彼女は、勤めているお店での居場所について「海底のような」と、自身の境遇のメタファを語ったりはしますが、特段そこにエピソードが織り込まれているわけでもありません。
特段なにもないのに風俗嬢、という設定に、やはり社会の閉塞感というかやるせなさを感じますね。
少なくとも岡崎京子『リバーズ・エッジ』のような、その職業に対しての後ろめたさのなさは無い。
物語の最後、彼女は、その世界から抜け出すことを企図してか、店からも、主人公の前からも消えるわけで、そこに若干救いはあるのですが。
高橋源一郎が昔、人生で負けられないからギャンブルで負けておく、みたいなことを言っていましたが、燃え殻作品の読書経験はそんな表現が適切かもしれません。
読み終えるまでの数時間で負け組人生の日常を追体験する、ギャンブルみたいな小説。
なお、アマゾンレビューでもよく指摘されていますが、よくよく考えると燃え殻氏本人はまったく負け組ではなく、起こった出来事の捉え方次第では、華やかなギョーカイ人としての日常を、楽しんでいても不思議ではない事は念頭に置かないといけません。
なので、より正確に言うと負け組的な精神性向を存分に味わう読書、でしょうか。
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