倉山満『トップの教養』読了。
Kindle版の販売日は、2020年3月27日となっていて、いよいよコロナ禍で日本が混乱し始めたころですね。
別にそれを予見していたわけではないでしょうが、本書の始まりから著者が嘆いている今の日本国内のグダグダは、さらに拍車がかかったようにも見えます。
とはいえ、そこを突き放すでもなく、諦めるでもなく、何とかしよう、自分たちはどうすればよいか、ということを考え続けるこの生き様は、やはり生き残るためにそういう道を選ばざるを得なかった世代から来るものでしょうか。
本書でも少し触れていた、リーマン・ショック後に、非常勤講師の職もすべて失ったところからの「再生」に近い人生。
ほぼ毎月本を書き上げるだけでなく、塾を開いたりYouTubeチャンネルを作ったりシンクタンクを作ったりと、生き急ぐというのとは少し違う、日本をどうにかしないと、という「責任感」。
これこそはエリートの矜持なのでしょうし、そしてその行動を裏付ける思想が「トップの教養」なのだろうと。
私が、上の世代の社会学者たちの言う、「みんな平等に貧しくなろう」だとか、「堕ちよ」だとかが、好きになれないのは、まあ、結局のところ、そういう他人事感なんですよね。
どうしてそんなことを言えるのだろうと。
端的には、自分たちだけは逃げ切れると思っているからでしょう、というのがあるのに加え、本書を通して再確認したのは、それこそ「トップの教養」が無いのでしょう。
結果として、ノブレス・オブリージュに欠けた振る舞いになる、と。
片や、逃げ切れるどころか、別にこれまでになにかの恩恵を享受してきたわけでもない世代にとっては、現状が変わらない限りは自身を取り巻く環境も好転しない、と。
しかし徒手空拳で動くわけにも行かないのでなにがしかの思想的な拠り所が必要で、というところにこういった思想。
そう考えると物悲しさもあるわけですけれども。
それでも何もないとメンタルからやられちゃいますからね。
そういう意味で、教養そのものを授けるというよりは、閉塞感と戦うための心構えを学べる本。
ネトウヨ仕草よりは数倍マシな武器を手にできますよ、と。