村澤昌夫『水木先生とぼく』読了。
水木プロダクションで長年アシスタントを勤めた方による水木伝。
水木先生が亡くなった後だからこそ出せる本でしょうか。
『ゲゲゲの女房』に出てくる水木さんとはまったく違う水木さんで少し面食らいますが、こういうのはその界隈では周知されていたものなのでしょうか。
以前に岡田斗司夫がYouTubeで、水木先生はお金の話が大好きで「ねずみ男がね!お金をガッポガッポと運んでくるんですよ!」と言っていたとか大笑いしながら喋っていましたが、あれが嘘ではなかったと確信できるエピソードの数々。
誰のこととは言いませんが、今までいわゆる作家のアレな部分が表に出ないよう編集者や出版社が守ってくれていたものが、SNS時代になり作家本人が普通に我々下々の民の間に降臨するようになると、そういった部分も含めてダダ漏れしてきて、結構困った事態が頻発しています。
で、水木先生も今の時代にツイッターとかやっていたら、普通に炎上してひどいことになっていたのではないでしょうか。
特に女性へのルッキズムがヒドい!
この著者と二人きりのときに話すのであればまだわかりますが、京王線の車内で堂々と語りだすとか、当時でもヤバい人との境界ギリギリだったと思いますが・・・。
まあ、そういうところも含めて水木先生の魅力だったのでしょう。
ところで本書の漫画は水木先生の死後に書かれているわけで、当然水木先生はタッチしていません。
でも、画がどうみても水木先生なんですよね。
そういったあたりも含めて、水木作品とはこの作品の著者を含めたプロダクションとしての仕事なのだな、とあらためて感じさせられます。
もう40年もアシスタントをしているという著者。
水木先生に心酔し、漫画家になるという夢もいつの間にか消えたものの、職業としての「アシスタント」に徹した人生で、これはこれで幸せだったのだな、と思わされます。
本の後半は、水木先生との海外旅行記が主になってきて、水木プロダクションでの日々とか仕事ぶりの描写とかとはまた少し違ってくるのですが、二人の仲睦まじい様子が伺えます。
というか、いずれも自腹で参加しているのですね。
本人もそれを当然視しているし、水木先生もそのつもりで誘って旅行パンフを手渡しているし、そういうものなのでしょうか。
法人にしているのなら、研修旅行という形にすれば節税にもなるのに、なんてことを考えてしまうのは、やっぱり無粋ですかね。
そういうところに頭が回ってしまう人間はクリエイター向きではないのかもしれません。