徳本栄一郎『角栄失脚』読了。
副題は「歪められた真実」で、表紙にはさらに「ロッキード事件はアメリカの陰謀だったのか?今、30年間の封印を解く。」とあります。
30年間?とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、実は2004年出版とかなり古い本です。
とあるYouTubeで言及されており、手に取ってみました。
もう絶版になって久しいようで、古本で手に入れるよりほかありませんが。
真山仁さんの『ロッキード』や石原慎太郎の『天才』よりもはるか前の出版ですね。
当時はまだ田中角栄ブームも起きていません。
時流にも乗っていなかったことで重版もかからなかったのでしょう。
真山さんの本がどちらかと言うと、田中角栄は冤罪か否か、という点に多くを割いていたのに対して、本書は副題にある通り「ロッキード事件はアメリカの陰謀だったのか?」という観点での検証を進めています。
徳本さんの著書は以前に『エンペラー・ファイル』を読みましたが、本書もそれと同じく機密解除された公文書を読み解くことで通説をひっくり返すことを狙っていて、これが徳本さんの得意なパターンなのかもしれませんね。
今回俎上に載せられたのは「アメリカの陰謀」なるものです。
そして調査の結果、およそ陰謀があったとは思われにくい、と結論付けた後、この通説の発起人?とでも言うべき田原総一朗に取材を申し込むものの断られています。
その際の田原氏からの返答が印象深いです。
「当時の事情を、もううまく説明できず、きっと理解してもらえないと思うので、コメントは差し控えたい。」
というメッセージが届いたとのこと。
自分はロッキード事件の頃はまったくもって子どもでしたので、その「当時の事情」についてはわかるはずもありません。
ただ、実は真山さんも上記の本で多く触れていたのは「世論」についてでした。
そして、あの本のアマゾンレビューではそこを批判しているものもありました。
結論として「国民こそが、角栄を葬ったのだ」という言い方じゃ、なんの説明にもなっていないじゃないか、というのです。
確かに今から振り返ると、事件の発端から終結まで異様なことばかりです。
今日の感覚で見ると、そんなことで自殺者が出たり、元総理が逮捕されたりしたの?となります。
でも、当時の空気感からすると、さほど違和感もなかったということなのでしょう。
というより真山さんも、色々調べてみてもそう結論付けざるを得ないほどそういう空気で物事が動いていた、と感じたということなのでしょう。
ただ、それにしても一国の総理だった人間がしょっぴかれるわけだから、それなりの理由はあったに違いない、という連想からの陰謀論。
そう考えると、あれは「アメリカの陰謀」だったのだ、とのストーリーは受け入れられやすい。
もちろんそれは知的に誠実な態度とは言えません。
そして、そのことは半ばは田原氏も自覚していたのでしょう。
それゆえの取材拒否であったろうと思われます。
徳本さんは田原氏の外堀を埋めるべく、当時の取材先となった面々にあらためて当たり、彼らから田原氏の主張には言い過ぎなところもあったと引き出しています。
また、場合によってはあらかじめ田原氏の考える筋書きに沿っての取材だったもの、裏付けの取れない話まで書かれていたものもあったようです。
(今日のマスコミ取材も同じようなもの?)
でも、誰もそのことに文句を言っていないのです。
一通りの取材を終えて、田中角栄を悪く言う人はいなかった、という徳本さん自身の感想も含め、その陰謀論を生んだ土壌を理解してのものなのでしょう。
どこか時代のスケープゴートにされた田中角栄という人間について、本当は当時の世論がそこに押しやったのだけれども、何か陰謀論めいたからくりで理解したい、というメタな世論・欲望とでも言うべきでしょうか。
「資源外交でアメリカという虎の尾を踏んだ田中角栄は陰謀で潰された」ということにして、自分たちが追い詰めたことを免罪したい集団心理。
そしてそれに見事にマッチした田原論文という構図です。
しかし、それは現実とはマッチしません。
本書を通して米公文書から伺い知れるアメリカの姿勢というものは、田中角栄を陥れよう、などという小さな策謀などではありませんでした。
それよりは裏表問わず使えるルートは駆使した上で、自民党内の力学の中で誰が総裁になろうと影響力を行使できるようにあらかじめ準備をしておく、という類のもので、ある種健全な覇権国としての振る舞いです。
コマとして使うのに障害が出る程度に日本の政界が荒れてしまうのは困るので、ある程度は田中角栄を守るよう動いたりもしたものの、それが崩れた後は、粛々とその次の手を打った、というに過ぎません。
当然のことながらアメリカは別に角栄と心中する気はなかったわけですね。
交渉相手として有用だったからそれまで利用していただけで。
あと、アメリカが角栄の資源外交を苦々しく思っていたのは事実でした。
しかし、それはオイルメジャーの目障りになるから、というよりは、日本がオイルショックへの恐怖感から、あっちこっちで相場を無視した高値買いを行なうことで、より一層市場が混乱してしまうから、またいざとなったら東側とも安易に妥協してしまう懸念があったから、というのが自然な見立てです。
石油を求めてアメリカにけんかを売ったくらいには資源パラノイアである日本のことは十分に理解しており、そんな日本の行動を注視する以上の動きは公文書からは伺いしれません。
だから本書は調査が甘いのだ、と言いたげなレビューも散見されますが、それは陰謀があったという決めつけからの結論でしょう。
それよりも本書が明らかにしたのは、「陰謀」があったという説そのものが田原氏の作文に過ぎないのではないか、ということなのです。
ジャーナリストとしての田原総一朗はやっぱり信じられないよね、と納得できる一冊。