徳本栄一郎の『エンペラー・ファイル』を読む。
副題は「天皇三代の情報戦争」とあり、ともすると天皇家には独自の諜報機関があって、その諜報活動の記録を明らかにした本、みたいな印象を持ってしまいますが、そんなことはありません。
そうだとしたら陰謀論チックでそれはそれで面白いのですが、本書のメインは、戦後になり「象徴」となった昭和天皇が、苦労しながらもどのようにして自分の欲しい情報を得ていたか、というお話です。
そしてそれらは、これまで表立って知られることがなかったわけですが、ふとしたきっかけで著者の前にその一端が現れた後は、著者の精力的な活動によって、少しずつその全体が見え始めてくるという流れ。
調査をかける勘所と言うか、目標の定め方と言うか、そういうところがジャーナリストだな、と感じます。
それにしても、英米ともに時が経てば機密情報も順次開示されていく、というのは、歴史を歴史として、後の世に生きる者の糧とするためには必要なことですね。公文書を勝手にシュレッダーとかしてはいけません。
単なる噂だとか伝聞だとか、そういうものによる想像・妄想ではなく、開示された公文書から積み上げていく考察というのは、迫力が違います。
それらを通して伺えるのは、自身では諜報機関を持てないがゆえに、裏のルートを作り国際情勢を把握しなければならなかった昭和天皇の苦悩と苛立ちみたいなもの。
天皇の特命で元共産主義者が単身で色々な調査をする、みたいな筋書きは、浅田次郎の『マンチュリアン・リポート』の戦後版、いやノンフィクション版といった趣きがあります。
ハプスブルグ家の当主が登場したり、CIA、ISS、MI6と、やっぱり陰謀論チックですが。
それらの活動についてを、極めて偽悪的に言えば、戦後のある一時期まで、共産党ならびに共産主義者は、天皇をギロチンにかけることを目的としていた以上、その動向を逐一知っておきたいというのは、昭和天皇にとってはご自身の生命に関わることで、真剣になって当然ではあります。
もちろんそれらを知ったところで戦後の陛下に何かが出来るわけでもないですし、陛下がご自身の命のことだけを気にかけて情報収集を行っていたわけではないことは、節々でわかることです。
第一義は、共産革命により日本が再度混乱する事態は避けなくてはならない、という君主としての使命感でしょう。
それにしても、政府・自民党も、外務省も当てにならないというか、危機感が足りないというのは、君主として悲しいですね。
でも、そういった、自分の意志ではどうにもできないもどかしさ、というのは、戦後になって「象徴」として押し込められているから、というより、戦前もそうだったのではないか、という気もしたり。
いや、これは前述の『マンチュリアン・リポート』との比較感になってしまうし、そっちは浅田次郎の描くフィクションなので、浅田氏がそういうものとして描きたかった、ということもあるかもしれませんが。
それにしても、サンフランシスコ講和条約も締結された後になって、イギリス政府が「立憲君主制をいかに機能させるか、米国人はまったく理解していない。主権は国民にあって、君主はただゴム印を押す存在と規定し、その結果、天皇は何が起きているかを知らされないシステムができ上がってしまった。」と嘆いているのが、トホホな感があります。
君たちも戦勝国でしょう。なんですかその他人事感は。
まあ、米英の意図や目的はそれとして、敗戦を機にすべて宮澤俊義の意のままに進んでしまったことの証左でしょうけれども。
それにしても、天皇は日本人の核であるという、田中清玄の主張には頷かされるばかりです。