プライム・ビデオで映画『花束みたいな恋をした』視聴。
サブカルで意気投合した大学生カップルの出会いから別れまでの5年の物語。
菅田将暉くんと有村架純さんの二人ですが、大学生のシーンでは学生だし、フリーターのシーンではフリーターだし、サラリーマンのシーンではサラリーマンなんですよね。
当たり前ですが。
けれども、菅田くんのほうがより変化が大きいというか、より社会人ぽくなることで二人の間のズレが強調される仕掛け。
演出も演技も素晴らしい。
当初、終電を逃した明大前で出会う二人ですが、同じ京王線沿線に住んでいるとはいえ、片や長岡から上京してボロアパートに暮らす男子学生、片や親と同居で戸建てに住む女子学生と、はじめから格差というか違いは埋め込まれていて、結局はそれがすれ違いの遠因になっていたように見えます。
麦(菅田将暉)は父から仕送りを止められたことで、真面目な就職活動に身を投じることになりました。
そのシーンを見たときは、学生生活が終わってもしばらくは仕送りが続いていたのか、と呆れもしましたが、いずれにせよそれが止まったことは彼にとってはモラトリアムを終えるきっかけになりました。
一方の絹(有村架純)は、医療事務の仕事についたものの誘われるがままあっさりと将来性もわからないイベント企画のベンチャーに転職してしまうなど、どことなく浮ついたまま。
女だからとまでは言わないまでも、いざとなれば実家に戻れば良い、という気楽さはあったでしょう。
そういうある種の階級的な格差があったにも関わらず、出会った日には飲み屋の片隅にいた押井守に自分たちだけが気づけたという共通点で惹かれ合うほどにはサブカル的に似通っています。
東京と地方ではもはや文化的な差異はない。
それが2010年代なのですね。
彼ら二人が互いに読んでいる本を見せあって趣味が同じであることを確認して喜ぶシーンがあります。
ティーンの頃に影響を受けた作家群が同じだということですが、東京郊外であっても地方都市であっても、すでに本屋の消失は進んでいた時代です。
そもそもが書籍購入自体が、アマゾンで書評まで舐めるように読んではポチっとするのが当然となった時代で、地域格差はもはやなかったのでしょう。
ゼロ年代以降、オタク的な趣味への蔑みもサブカルの世界にあったヒエラルキーも消失したということは、宮沢章夫『東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版』にもありましたが、二人が出会い惹かれ合ったことはその証左でもありそう。
とはいえ、かつて趣味がまったく同じだったカップルが、理由はともかくその趣味が変わったのにその関係を同じように続けるというのは難しかったろうなぁという感じます。
自分自身を振り返ってみても、妻と出会ったのは社会人になってからです。
その妻はもちろん私が学生時代に渋谷の某大箱で働いていた時代のことは知らないし、音楽の趣味もまったくあわない。
おかげでアナログ盤のコレクションを早く捨てろ嫌だでいつも揉めるし、何より部屋にレコードプレーヤーが2台あるというのが理解できず、ましてやその間にミキサーなどという不要物がスペースを取るのも気に食わない模様。
大事に取ってあるTB-303に至っては今なら30万以上で売れると話したら、今すぐに売却しろとけしかけてくる始末。
やれやれと思います。
でも、そんな暴言をかわしつつ、それでもそれらをすべて理解してくれるような女性とは、やはり一緒には暮らせなかっただろうな、という気はするのです。
ええ。当時の幾人かの女性を思い浮かべても、まあ、結婚は無理だよな、と。
もちろん就職を機に麦が変わったように、絹のような女性も例えば子どもが生まれたら変わるのかもしれません。
でもね。
サブカルにハマるような女性を母に持つ子を持ちたいかというと、それは無い。
まあ、その時点で自分はこの二人が「花束みたいな恋」のまま卒業したのは良かったことだと思いました。
あと、やはり同棲はしてはいけない。
息子にも娘にもそれは言い聞かせないといけないと、父としては思うのでした。
U-NEXT、Huluでも観られます。
コメント
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