プライム・ビデオで映画『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』視聴。
アマプラ入りを機に消化しました。
方々で評価されているのは存じておりますが、アニメオタクでもないし押井守のファンというわけでもないので、これまで特に見る機会もありませんでした。
『カリオストロの城』とかは定期的にテレビで放映されるので、子どもらとも一緒に何度か見ていますが、本作に関してはあまりテレビでやっているのも見た記憶はないので、これはなにか権利面とかの問題なのでしょうかね。
それとも、日テレで定期的に放送してくれる過去のジブリ作品のほうがむしろ異常と捉えるべきなのでしょうか。
実を言うと押井作品を押井作品として子どもの頃に楽しんだという思い出はありません。
これは自分だけではないと思いますし、世代的なものとも違うような気がします。
少なくともアニメの「うる星やつら」は見ていましたからね。
まあ、「かぼちゃワイン」とか「マチコ先生」とかその手のアニメに近しい位置づけで、茶の間のテレビで積極的に家族で見入るというものではありませんでしたけれども。
そういう点、富野・宮崎あたりの「巨匠」とは違うところですよね。
映画『花束のような恋をした』では、初対面の主人公二人が、明大前の飲み屋で自分たちだけがそこで押井守が客として飲んでいるのに気づいたことで意気投合するというシーンがあります。
わかっているオレらはお前たちとは違う、みたいな、いかにもな90年代サブカルのノリで二人は付き合い始めるわけですが、2010年代に入ってもまだそういう空気感はあったということですね。
押井守というのはその時点で知る人ぞ知るスゴい存在という描写ですが、まあ、今もそんなに状況は変わっていないでしょうか。
翻って本作、押井守の出世作という扱いで、アニメとしては「夢オチ」+「ループもの」の元祖ということのようです。
ただ、見た限りその両者の接続はよくわからないというか、曖昧というか、いや、浦島太郎との接続は町が亀に乗っているという以上のものではないような…。
だって浦島太郎はループはしてないですし。
なんとなくドタバタでごまかされているようなところもある印象ですが、むしろ細部にまで設定がしっかり固まっている今のSFもののほうがこだわりすぎなのかもしれません。
一つ残念だったのは、夢から覚めて他の夢に移動する、というのが、「夢の中の夢から覚めた」というものと「また別の人の夢に入る」というものとがあるようなのですが、映像だけではやりきれなかったのか、言葉で解説させてしまっている点。
どちらかに絞ってでも映像だけでわかるようなものであってほしかったなぁ、と。
まあ、元祖ということなのでこちらでその予備知識を持って見れば良いのか。
映画『インセプション』みたいな、言葉なしに整合性のある夢オチ映像というのは、本作から30年近くの時が必要だったということなのでしょう。
Huluでも観られます。