佐藤友則・島田潤一郎『本屋で待つ』読了。
何とも不思議な本です。
一応はビジネス書というのでしょうか。
街の本屋さんの4代目社長がこれまでを綴ったものです。
舞台となるのは広島県の東城町にある本屋さん「ウィー東城店」。
著者のお父上が開いた支店第一号店です。
元はと言うと、本店のある町の人口縮小が続く中、このままではジリ貧だとばかりに隣町に支店を作り打って出たものの、見込みが違ったばかりか店員も一斉にやめてしまい、仕方なく筆者に店長の仕事のお鉢が回ってきたというものでした。
そんな支店の再建を任された筆者の物語となれば、才気あふれる御曹司が奇策を講じて、並み居るライバルを蹴落として一大書店チェーンを構築した成功譚か、というとまったくそんなことはありません。
本書に書かれているのは、そんな超人的な話ではなく、地道に棚を整えてお客さんを待ち、そのお客さんの動きや言葉からニーズを汲み取り、それを店舗運営につなげた、というものです。
そんなニーズに応え続けた結果、コインランドリーやパン屋を併設したり、日本語の教科書を作成したりということにつながった模様です。
こうして書くと書かれている経営イベントにまったく統一感がなく、この企業体に何か芯となるビジネスはあるのか不安になったりもします。
でも、根本は書店というところからはブレていないのでしょう。
事あるごとに、書店は利益率が20%だから他のビジネスを絡めないといけない、と吐露しているのですが、そこを辞めるという頭は無さそうです。
というか、意識して触れていないのかもしれませんが、利益率が低いとはいえ、本は仕入れにお金がかからないので、他のビジネスとの相乗効果が得られる限りにおいては継続しておいて損はないのでしょう。
また、何よりも人材育成の部分の記述が秀逸。
不登校の過去を持ち、社会との接点をここでのバイトから始めた青年が、正社員として働いている例が複数。
それが「不登校の子でも雇って面倒を見てくれる書店」という街での評判になるというあたり、田舎町での経営のヒントになりそうです。
効率一辺倒のビジネス展開とは違ったやり方が、そこにはあるのですね。
お父上の時代の話にも触れていて、高度成長期に本屋が果たした役割というのを垣間見れた気がします。
外商で辞典や絵画集を売りまくるというのも、昔ならではのビジネスモデルですね。
子どもの頃、うちにも本屋のおじさんが毎月なにがしかの企画本とかでやってきていた記憶があります。
今ではそういうサービスは無いでしょうね。
Amazonの定期便がそれに相当しそうですが、何とも味気ない。
家業は、元は何でも屋だったそうですが、お父上の代に定価販売のものに絞ったというあたりを見ても、商才があった方のようです。
それゆえに街の未来も見えてしまい、子どもに仕事を継がせる気は無いとして、子どもたちにもそれを言い渡してあったというのも、地方の自営業者あるあるなのかもしれません。
結局、社員が辞めてしまったのでそんなことも言っていられず、筆者が継ぐことになったわけですけれども。
高校・浪人生時代も不真面目な受験生活を送り、それでもなぜか引っかかった大学も途中で辞めた筆者。
心機一転、修行をさせてもらった名古屋の書店でビジネスの面白さを掴めたというのも、その後につながっていますね。
出版業界が斜陽産業となり本屋も生き残りが厳しいぞ、となって久しいです。
じゃあ複合書店でビジネスチャンスを拡大しよう、なんていうとたいてい蔦屋書店の話が出てきます。
意識高い系に向けた話が多くて鼻につきます。
それは、代官山・六本木だから成立した話でしょ?みたいな。
田舎町には田舎町の地に足の付いたやり方があるとわかる一冊。