館山昌平 長谷川晶一『自分を諦めない』読了。
著者名は館山昌平で、横に[執筆]として長谷川晶一とあります。
基本的には館山さんの自伝なのですが、ところどころ周りの選手や家族にそのときを振り返ってもらってのコメントが挿入されていて、そのあたりのコメント取りだったり、全体の構成だったりを長谷川さんが担当したのかな、という感じです。
長谷川さんの本は虹色球団以来です。
ライターさんが入る自伝的なものだと、インタビューで話してもらったものを書き起こす、というスタイルもあると思います。
日経の「私の履歴書」なんて、だいたいがそのパターンだと思います。
忙しい経営者の方とか。
日経の記者をしている友人から「今月の○○さん、私の履歴書とか言ってるけど、まったく自分で書いてないからね。」とか聞いたことあります。
しかし、本書の場合、時折館山さん本人のブログからの引用も入ったりするところからも分かる通り、御本人が「話す」よりも「書く」ことで自分の思考を整理するタイプの人なのでしょう。
ある程度、章立てみたいなところは長谷川さんが用意しつつ、あとはこのときのことを好きに書いてみてください、みたいな形で原稿も進んでいったようなところが見受けられます。
そういう意味では、本人の言いっぱなしではない自伝です。
副題が「191針の勲章」とあり、3度のトミー・ジョン手術を含む数多くの怪我・手術に悩まされた投手人生を中心に書かれています。
どんなに長期離脱をしても戻ってきたところから、タイトルが『自分を諦めない』となっているのはわかります。
これは、長谷川さん主導のタイトル付けでしょうか。
しかし、本文の内容で驚かされるのは、館山さん自身はトミー・ジョン手術はドーピングではないのか?という悩みを抱えていた、という点です。
野球を見ている側からすると、そんなことは考えたこともないですね。
私が知らないだけで、巷間そういう声があるのかもしれませんが、そういう発想がなかったので、そこに後ろめたさを感じていたというのは新鮮でした。
自分の他の腱を移植してくる、という工事みたいなことを行うのは、骨折などの自分の力で治癒するものと違う、というのは確かに言われてみればそうだなぁ、とは思うのですが、自分はそういう考え方をしたことはなかったです。
このあたりは、義足でのランナーが健常者の記録を追い抜くとか、そういう場合、義足ランナーはオリンピックに出場するのは有りなのか、とかそういう方面の議論と地続きなのでしょうね。
子供の頃にうどん製麺機に右手の人差し指をえぐられたことで、独特なカーブが投げられるようになった堀内恒夫という投手がいるわけですが、それは良いのかとか、サッカーだと例えば元ジェフ・レッズ・レスターの阿部勇樹などは、しばらく足にボルトを埋めたままプレーしていたけど、それは構わないのか、とか。
実際、トミー・ジョン手術をすると手術前よりも球速がアップする投手が多いそうで、そのあたりも後ろめたい思いを抱えた理由の一つなのだろうな、という気はします。
それでも、フル稼働できたシーズンのほうが少ないのではないか、というほどの選手人生を送った人の言葉というのは、安易にドーピングに手を出した人のものとは違う気がするのですね。
ままならない人生の中で、それでも長期的に考え最善の判断を要所要所で行える、という芯の強さを感じました。
それから、「球団の温情」という言葉が何度か出てきますが、ヤクルトという球団は、荒木だったり伊藤智仁だったり岡林だったり、故障に泣く投手が多かったことで、投手の怪我に対しての受け入れる器みたいなものを感じますね。
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