森永卓郎『書いてはいけない』読了。
副題は「日本経済墜落の真相」というもので、ともすると「日本航空機墜落の真相」と空目してしまいますが、無論、それを狙ってのこの文字の並びだろうと思われます。
上品な売り方ではありませんが、確信犯にそれを指摘するのも野暮なのでそっとしておきます。
前著の『ザイム真理教』の書評を書いた際、本書が「日航機墜落の陰謀論なのはどうしたものか…」とボヤきましたが、最近はどこの本屋に行ってもランキングの上位に並んでいるのが、本書と『ザイム真理教』で、結局本書も手に取ってしまいました。
前著は財務省についてに絞っていましたが、本書のテーマは大きく分けて3つ。
- ジャニーズ事務所
- 財務省
- 日航機墜落事故
いずれも森永さんがこれまでのメディア活動を通じて感じてきた大手メディアでの「タブー」の総括に近いようなもので、本人曰く「遺書」だそうです。
遺書は自殺する人が書くものですが、ある意味前著と本書によって森永さんは社会的に自殺を試みたということでしょう。
実際に、テレビ・ラジオのレギュラーも失ったそうです。
しかしながら、YouTubeの世界では、陰謀論系のものも含め種々のチャンネルに呼ばれることが多くなったのか、個人的には森永さんを目にする機会は以前よりも増えたような気がします…。
というか、「大手メディア出禁」みたいな触れ込みのほうが、YouTube的にはおいしいのでは?みたいな感すらありますね。
でも、両書ともベストセラーなのは事実なので、本来ならテレビ・新聞でもこれくらいの露出はあって当然なのかもしれません。
そんなことをしているから既存メディアの凋落は止まらないのだ、というのももっともな話です。
毎日新聞が富山県で配達を止めるなんていうニュースも入ってきましたし…。
でもそれを「マスゴミ」だから、と揶揄するのも少し違うのでしょう。
その理由の一つは本書でも触れられているとおり、財務省に関してはその「タブー」に触れると税務調査が入るので迂闊に切り込めない、というものです。
マスを相手にする商売がマスであるがゆえにそこを牽制できれば支配が完成してしまう。
財務省ネタに限らず、そういう構図はそこかしこに見られますよね。
マスメディアが情報を独占できていた時代には、そこを押さえてしまえば良かったのですね。
脅しというムチだけではなく、ときには共通の利権を得る共犯関係というアメを使った支配もあります。
そしていつの間にか一体化してしまう。
それらによるタブーも、ザイム真理教とはそんなに遠くない位置にいくらでも見つかりそうです。
昨今話題のWBPC問題もその観点から見ると自然で、巨悪というよりは利権を通じた緩やかな集合体、みたいなものが意識されてきます。
それが界隈でナニカグループと呼ばれるものなのでしょうけれども。
なので、SNSやネットメディアの発達により、そこにほころびが見え始めている昨今は、その点だけ見れば好ましいことです。
政治の世界に目を向けてみると、今回の都知事選での石丸旋風では、こと選挙運動に関して言えば、マスメディアを頼らないネットメディアを通じた活動もまた、数多くの問題含みであることが露見しました。
ですが、法整備はこれからなされていくのでしょうし、一概にそれを批判する気にはなりません。
N党の候補者乱立も含め、良識を前提とした枠組みの崩壊、みたいな言われ方をしますが、たとえ法に穴があってもあえてそれを突いてくれるなよ、という牽制が機能しているところでは、問題が発生してこなかっただけ、ということですよね。
今回の事象は、マスメディアが推さなくても善戦できるレベルにはネットが発達したという証左で、そこは無視できないですね。
ただ個人的には、石丸氏本人については、金融機関によくいる理屈はこねるけど仕事できない系の代表格みたいな印象で、いろんな部署をたらい回しにされながら段々と閑職に近づいていった人を思い起こしましたが…。
あげく他社に転職するのですが、最初は意外と良いポジションにつくことができていて、「あー、面接受けは良さそうだもんな。」という感想を持つものの、しばらくして消息を聞くと、「あ、そっちでもたらい回しになったんですね」みたいなことになっていたりして。
話がずれました。
マスコミのタブーには彼らなりの理由があるというお話でした。
そして、そのタブーを犯したために大手紙・テレビに登場できなくなった森永さんが、相当な覚悟で世に問うた本書ですが、内容はそんな手放しで称賛すべきものでもありません。
財務省問題については、取り立てて異論は無いにせよ、前著の焼き直しみたいな箇所が多いです。
大手メディアに限らず、政治家やジャーナリストまでも、気に入らなければ税務調査に入り脱税で絞り上げる、という手法もこれまでは機能していたのでしょう。
ただ、今は内閣人事局によって財務省を含む各省庁の幹部級の人事は決定されているわけで、以前ほどは政治家も財務省の恐怖支配下にあるというわけではないのかもしれません。
昨今、「ザイム真理教」という言葉とともに、財務省ってヤバい組織なのでは?という認識が広がりつつあるのも、このことと無縁ではないのではないでしょうか。
後年から振り返ると、実は安倍さんの一番の功績はここだったのかも、なんていう日が来るのかもしれません。
財務省の力が徐々に削がれていき、一体あの恐怖感は何だったのだろう、という日が来たときには、もう森永さんはこの世には無いかもしれませんが、そのときにはきっと康平さんがそれを墓前に報告していることでしょう。
残り二つのジャニーズ問題と日航機墜落については、前者は分析不足、後者は妄想が飛躍しすぎな感があります。
まず、BBCの報道から始まった今回の故ジャニー喜多川氏の性加害問題の追求ですが、今や我々はその「外圧」にも少し怪しい経緯があったことに加え、被害者団体を名乗るPENLIGHTなる団体の構成員が、北朝鮮系慰安婦団体キボタネのそれと被っていることも知っているわけです。
被害者救済と言いながら、喜多川家の遺産や旧ジャニーズ事務所の売上の一部を吸い上げようとするスキームが見え隠れする時点で、どうもこの話題は「被害者」の主張を額面通り受け取って良い問題ではなさそうだ、距離を取っておいて良さそうだ、という判断が働きますね。
なので、ここまで前のめりになる森永さんにこそ危うさを感じます。
あと、日航機墜落事故については、現状公に知ることのできる情報からは真相は見えず、どことなく違和感を覚えるのは事実です。
でも、だからといって自衛隊の特殊部隊によって現場を焼き払ったとか、それがプラザ合意の引き金になったとかいうレベルまで行くのは陰謀論が過ぎるのではないでしょうか。
いくら国家秘密だとしても、さすがにそんな工作に関わった隊員全員が皆墓場までそれを持っていくとは考えにくいんですよね。
もう40年が経とうとしています。
「実は」と告白をする元隊員の言葉でも無い限りはちょっと信じられない内容です。
自衛隊機が誤射してしまったとか、それを隠蔽するために横田基地への緊急着陸を取りやめさせた、くらいまでならなんとか理解はできます。
でも、そこで米国に借りを作った日本政府がプラザ合意を飲み、それ以降も対米従属の立場に追いやられた、みたいなのはさすがに言い過ぎでしょう。
日本はそれ以前から属国だったはずです。
高度経済成長で少しばかり増長していただけで。
それにアメリカが自分の地位を脅かそうとする二番手国に対してどのような態度を取るのか、については我々はもう知っていますよね。
それは別に事故隠蔽の裏取引とかいう妄想とは無縁の世界でしょう。
チャイナに対しては、少し気づくのが遅かったきらいはありますが、完全に敵国としての扱いに変わりました。
日本に対する目線が変わったのは、少なくとももう二番手国になる目も完全になくなったことの現れでしかないのでそんなに喜んでも仕方ないのですが、ここ30年間沈んでいたのですからね。
コッカラっす。