橘玲『テクノ・リバタリアン』読了。
副題が「世界を変える唯一の思想」というもので、ずいぶんと大きく出たな、というのが読書前の印象。
ですが、読み終えてみると案外違和感は無いです。
我々の日々の生活は、SNSに限らずGAFAが提供してくれるものに覆われているわけで、それを設計する人々の手のひらの上で踊っているようなところがありますしね。
シリコンバレーのそれらの創業者が信奉する思想が、彼らの提供するサービスに反映していないわけはなく、実際に世界を変えていっています。
著者によると、日本ではリバタリアンの議論があまり紹介されていない、とのことです。
確かに日本でリバタリアンという語を聞いて思い出されるのは渡瀬裕哉さんとかで、少なくともアカデミズムの人ではないですよね。
どちらかというと政治畑の人、という印象が強いです。
別にそれを本邦の学者の怠慢とかいうつもりはありません。
というかアメリカでもこの手の思想の担い手はアカデミズムにはあまりいない、ということかもしれません。
リベラルでないとアカデミズムで生きていけない現象は国内外問わずありそうですし。
本書は、リバタリアンの思想の系譜も軽くおさらいしていますが、自分にはこの程度で十分でした。
それを踏まえたうえでの「テクノ・リバタリアン」の思想が展開されますが、ここで日頃の疑問がだいぶ氷解しました。
というのは、最近のシリコンバレーでの成功者の立ち居振る舞いが、一昔前のそれとだいぶ違ってきているという印象があったのですね。
Open AIのアルトマンは、議会の公聴会でとある議員に「この会社の株でどれだけ儲かったんだ?」と皮肉交じりに訊ねられた際、「自分はOpen AIの株は1株も持っていないのでゼロですね。」みたいなことをしれっと回答していました。
イーロン・マスクも、投資収益という観点からしたら一生利益を生み出しそうにないツイッターを買収する必要なんかなかったわけです。
彼らは起業家として成功するとか、投資家としても収益をあげるとか、そういう世俗的な目標とは無縁のところで動いているような節がありました。
そういう意味では第1世代のビル・ゲイツみたいなのとは違いそうです。
一方、FBIが犯罪者から押収したiPhoneのパスワードをアップルに訊ねたら開示してくれなかった、とかいう反権力・反政府なヒッピー文化の延長みたいなスティーブ・ジョブズみたいなノリとも違いそうです。
本書では他にもリバタリアンがベーシックインカムの普及を夢想する例が挙げられています。
それについては、富を得すぎた成功者が、攻撃の矛先を自分たちに向けさせてないために動いているに過ぎない、という冷ややかな意見も紹介されていますが、それにしたって全世界のヘイトを集めないように、というだけなら財団を作ってチャリティをするくらいで良さそうです。
というか、ゲイツ夫妻はそうしていますよね。
こんな具合で、昨今のシリコンバレーの起業家たちの行動原理にはアメリカンドリームの体現一辺倒みたいなものとは違ったものを感じていて、それについての回答が見つかった感じです。