上田啓太『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』読了。
タイトル詐欺と言えばタイトル詐欺の本です。
というのは、「連休」を始めた段階では著者はそれを2000連休にするかどうか決めてなかったので。
連休というのは、事前にどれだけ連続で休むかが決まっているから連休なわけで、サンデー毎日(毎日が日曜日)な人の場合、連休とは言わないと思うのです。
本書は、職を辞め、関係性については詳らかにされない年上女性の家に転がり込んだニートが、あれこれ思索を重ねてライターとして独り立ちするまでの日々の記録ですが、それがざっと2000日あった、ということですね。
2000日というのは結構大きいと思います。
著者にとって20代なかばから30代前半までの時間だった、ということもさることながら、子どもなら幼稚園児が小6になるくらいの時間軸ですからね。
それだけの時間を、ただただ自分とそのまわりの狭い空間についてのみ思索を巡らせてみた人の思考というのは、実はあまり他では見られない性質のものかもしれません。
そういう意味では貴重です。
昔なら、ずっと結核で病院に閉じ込められていた、とかいうケースでありそうですけれども。
出身も工学部で、それまであまり本を読んだことがない、ということもあってか、自分を題材にいろいろな実験をしているのですが、これが車輪の再発明のようではあっても、自身の言葉で書いていて、筆致というか角度の付け方が面白いのですね。
内容は、人間の体の25時間サイクル説だとか、運動が思考に与える影響だとか、記憶と感情の分別だとか、いずれもどこかで聞いたことのある話ではあるのですが。
大阪や東京で働いていたものの、仕事を辞めると学生生活を送った京都に戻ってきてしまった著者。
考えてみると、京都という街には、こういう人は多いのかも知れません。
そして、それを暖かく迎え入れてしまう土壌もあるというか。
自分が京都に住んでいた頃、作業場としてシェアオフィスを借りていたのですが、そこには学生生活の延長にあるかのような、ライター志望というか予備軍というか、文筆で生きていけたらいいな的な人も結構いました。
そのオフィスの利用者の中に、長年フリーのライター・エディターをしているという方がいて、その方が会議スペースを使って定期的にライタースクールみたいなことをやっていました。
結構流行っているようだったので、実は一番儲かっているのはその方だったんじゃないかという気がしたくらいです・・・。
それから、同居人女性のことはあまり書いていないのですが、業務のあまりキツくない正社員なのでしょうね。
地方都市ならではのゆるさでしょうが、文化的な生活というのは、こういう基盤の上に成り立つのだな、と感じます。
東京圏にはないこの心地よいゆるさは、東京が日本のすべてだと考えると見落としてしまいそうで。
そんなことを言うと「まだ東京で消耗してるの?」的ですが、別にそこまで肩肘張らずとも、こういう生活はできるのですね。
家賃6万の戸建てに住み、男や猫を飼う程度には余裕がある生活。
まあ、それがゆえに明らかに婚期は逃してそうですけれども・・・。
なお、著者についても同居人についても、親の話は殆ど出てきません。
それでも、京大まで出してやったのに、これじゃ親の苦労は報われないな、なんて時折親目線で考えてしまうのは、自分が人の親になったからかもしれません。
まあ、著者は最後にはライターとして独り立ちしているし、同居人女性は自分の家を建ててるしで、ひとまずは安心できるわけですけれども。