プライム・ビデオで映画『青天の霹靂』視聴。
劇団ひとりの小説を自らが監督として、また助演もするという作品。
2014年の映画なので、もう10年前になるのですね。
主人公(大泉洋)は浅草の劇場にも出入りする売れないマジシャンという設定です。
後に『浅草キッド』でも監督・脚本をすることになるわけで、元々浅草にこだわりがあったということなのでしょう。
なんというか、今も当時も10年前も、浅草の場末感は変わらない、というか、そういうものとして描くのが得意なのですね。
本作はタイムスリップのお話ですが、大泉さんはタイムスリップをしてもやはり自然と浅草に足が向かいます。
劇場のオーナー(風間杜夫)に拾われて、住み込みでマジシャンとして出演することになるのですが、雇われるにあたっての身元確認とかそういう矛盾は浅草だから要らんだろう、という風潮…。
そういえばタイムスリップものは常にそういう矛盾を抱えてしまいますが、タイムリープだとそれは要らないですよね。
最近はタイムスリップよりタイムリープもののほうがよく見かけるのはこういう舞台装置の気楽さもあるのかもしれません。
まあ、人生のやり直しをテーマにするならタイムリープのほうが扱いやすい、というのはあるでしょうけれども。
翻って本作のテーマは、人生のやり直しというよりは、断絶してしまった父と子の関係の再構築。
大泉さんがタイムスリップで40年前に飛び、自らの出生の秘密を知り、父(劇団ひとり)との関係を見つめ直すことになるという展開。
本当はこんなイベントごとがなくても、もっと前に父子はわかり合うべきだったよね、というのは実はタイムスリップ前に、大泉さんが父の遺品の中からまだ赤ん坊の自分を抱えている劇団ひとりの写真を見て泣きじゃくるシーンで暗示されています。
むしろタイムスリップでそれを確認しにいくという感じでしょうか。
飛び先が40年前というのが絶妙で、別に泣かず飛ばずの人生でなくとも、40歳近くになれば、どれだけ反発していた親でも、関係を見つめ直したくはなるものですよね。
子供を持つようになればなおさらのことですが。
タイムスリップものと言えば、我々は今クールでは『不適切にもほどがある』を楽しんでいるわけで、タイムパラドックス的な事象が発生しそうなときには、当事者同士が「ビーン」となるというわかりやすいタブー回避を、半ば当然のように受け入れてしまっておりますが、無論それはあの作品だけの話。
本作では早々にそういうことは回避されております。
大泉さんが飛んだ時点ではすでに、母(柴咲コウ)は自分を身ごもっているので…。
落雷が直撃してタイムスリップした割には、体が焼け焦げていないとか服装がそのままだとか、それ以外にも色々とツッコミどころはありますが、本作のテーマはそこではないので、問題なし。
さっと見終えたら、親にメールの一つでも送ってみようか。
そんな気分になれる一本。
U-Nextでも観られます。