『シン・ゴジラ』が出来たときに、ツイッターで「そのうちシン・仮面ライダーとかシン・ウルトラマンとかできるんじゃないの?」みたいなつぶやきを見た記憶がありましたが、結局その通りになったのですね。
三部作ということでしょうか。
あとは戦隊モノに手を付けだしたら無限にできそうですけれども、仮面ライダーとは違い、各作品の世界観が違いすぎて難しいかもしれませんね。
取り組むとしたらなんでしょうか。
やっぱり最初のゴレンジャーですかね。
それはさておき、本作は前2作の「シン」と同様に、オリジナルを知っているとニヤリとできるシーンを折り込みながらも、初見でもわかりますよ的な作り込みです。
とかいいつつ、自分も仮面ライダーはダイレクトな世代ではないので、そんなにニヤリとはしませんでしたが。
せいぜい竹野内豊の「タチバナ」というのは多分立花藤兵衛から来ているんだろうな、という程度でしょうか。
本郷猛が池松くんということで、そもそも藤岡さんとは違うキャラにしているのだろうことは、見る前から皆わかっていたところでしょうけれども、作中にヒロインの浜辺美波から面と向かって「コミュ障」と言われるような設定なのは、少々可哀想ではありました。
無論、それ故の優しさを浮かび上がらせて、敵方の例えば森山未來くんと対比させる構図ですけれども、このキャラ設定を先に決めてから池松くんが起用されたのか、それとも池松くんを主役に据えることが決まってから脚本を練ったのか、気になるところではあります。
だって、主役とヒロインは思い合っていたけれども結ばれることなく、先にヒロインは死んでしまうというストーリーなわけですよ。
結ばれないのは相手の気持ちに気づけなかった池松くんに理由があるとしても、それは元々のコミュ障由来のものなのか、それとも改造人間となったがゆえの気持ちの読めなさなのか、どっちに寄せたにせよ、当て書きなのかどうかは気になるじゃないですか。
まあ、どちらにしても池松くんは可哀想な扱いなのですが。
また、事前にメイキング動画でしょうか。
ツイッターで流れていたものを少し流し見したことがあるのですが、池松くんがほとほと疲れ切った表情で「こんなに撮っても、どうせ使うのはちょっとだけなんでしょ。」みたいにボヤいていて、しかも、作品にはちょっとどころか、そのシーンはまったく使われなかったという話で、それだけで「ああ、これが庵野作品なのか。」とお腹いっぱい…。
作品を見る前からそういう意識で臨んだので、池松くんのふさぎ込みがちな表情も演技なのかガチなのか、読みきれないというか、そこも含めて楽しませていただきました。
2時間の映画で、大きな戦闘は2回程度。
これくらいがちょうどよいですね。
キャラは皆「プラーナ」という(改造)人間の生命エネルギーみたいなのを吸い取って強くなれるという設定ですが、ストーリーの中では各キャラそれぞれ1回しかそれを行っていないので、強くなる程度もちょうどよい。
こういう設定を使うと、キン肉マンとかドラゴンボールみたいに、敵も味方も時間が許す限り強さがインフレしていきがちですからね。
ちなみにキン肉マンではジェロニモは超人ではなく人間だったので仲間が分け与えてくれた超人パワーを受け取れない、というシーンがありましたね。
最後は主役もヒロインも死ぬけれども、一文字隼人(柄本佑)のマスクの中で生き続ける、みたいな締めで一応めでたしめでたし。
でも、パワーはともかくAIで性格と経験を簡単に移植できるようになったら、こういう未来もあるのだろうな、と感じたのでした。
若くして亡くなった奥さんをAIで復活させようと頑張っている、みたいな話をツイッター(現X)でも見かけました。
まあ、見ておいて損はない一本。