早坂暁『花へんろ 夢の巻』読了。
子どものころにNHKのドラマで見た記憶があり、話はなんとなく覚えていました。
Wikipediaで見たところでは、1985年のドラマだったそうです。
映画の『ダウンタウンヒーローズ』も好きだったし、早坂作品には割りと馴染みがあります。
あの松山の言葉が心地よかったりするのですが(地縁はまったくありません)、小説となった本作を読んでみると、どうも赤っぽさが気になる構成でした。
ドラマで見たときはあまり気にならなかったのは、自分が子どもだったからなのか、それともドラマの段階ではある程度脱色されていたからなのか。
そのどちらもかもしれませんが。
小説版である本作は、発行が2008年ということである程度書き直しもあります。
昭和初期の時勢を自衛隊のイラク派兵になぞらえてみたり、鳩山一郎を書くのにわざわざ「鳩山由紀夫の祖父」という説明を入れたりと、ただ、それによって中身に深みが増しているかというとそんな印象も無いのですけれども。
著者からすると、ゼロ年代はゼロ年代で「軍靴の足音」が聞こえていたのかもしれず、その警鐘となるように筆を整えたということなのかもしれません。
ただ、タモさんの言葉(「新しい戦前」)を借りるまでもなく、今はそのころよりも余程戦前の様相を呈していますが、昭和初期との違いは歴然です。
少なくともマルクス主義が思想として人々の救済の対象となっている様子もないし、その活動家が若者から憧れられるということもないし、ましてやその思想でもってお上から弾圧されるということもありません。
数年前のSEALDsに対する視線などに顕著ですが、弾圧する云々の前に、今ではどちらかというとイタいものを見ている感覚が強いですよね。
いや、もしかしたらこの小説に登場する面々が特殊で、一般大衆からしたら昭和初期の当時であっても、活動家に対する目線はそういうものだったのかもしれませんが。
本作は、主人公である静子の目線で物語は進みます。
地方の勧商場の若女将となった彼女の、少女時代の憧れだった先輩や初恋の人だとかが次々と活動家や左寄りの映画監督になったりしているわけで、そこに著者の党派性があると言われればその通りではあります。
とはいえ、左寄りであることがカッコよかった時代というのはあったのでしょうし、戦前戦中に特高の目をかいくぐってもその思想を持ち続けたことが誉れであった世代がいたことも事実でしょう。
というか、今の映画界はまだそういった空気が満ちているかもしれません。
まあ、これはお話として、残りの二作も楽しみたいと思います。