鈴木涼美『浮き身』

鈴木涼美『浮き身』 評論

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鈴木涼美浮き身』読了。
ゼロ年代初頭のおそらくはご本人の実体験も織り交ぜながらの物語なのでしょう。
冒頭と終わりは現在での描写。
間の主要部分は過去の1ヶ月ほどの日々を思い出している、という作品です。

現在部分での描写にあった、部屋を出ていってしまった同居男性というのは、前に著書で書いていた、彼女の頭をフライパンで殴ったという奴なのだろうか、とそんなところが気になりました…。

書き出しで現在が鍵になっているのは、本人の言う通り、年齢的にももうすぐ産めない体になるからで、また題材が過去のその時点なのは、こういう生き方をすることになった原点ともなった日々を書いた、という形だからでしょう。

コピーには、「産むことにも売ることにも稚拙に抵抗しながら、そこにいた。」とあります。
高校を卒業して慶応SFCに進み、一人暮らしを始めたものの履修届は出さない、という、爛れた生活が始まりかけている感じがうまく切り取られています。

親への反発の自覚だったり、地元でははみ出しているつもりだったけど盛り場に出てきたらまったくおとなしめだった自分への気付きだったり。
そんな中、ホストやキャバ嬢や風俗嬢、そしてドラッグと触れ合う中で、多少背伸びもしつつも自然な流れで界隈に染まっていく様がきれいに綴られます。
とはいえどんなにきれいに描写しても、クスリで意識が飛びかけたところをデリヘルの経営幹部にマワされた、という経験には変わりはないわけで、そういう環境に身をおいたことも含めて親への反抗で、自傷行為の一種だったのでしょうけれども、それをこういう形ででも書き記すのは彼女にとっての快復の作業なのかもしれません。
以前ののアマゾンレビューで、「鈴木さんを救ってくれるのはフェミニズムではなく、まずはプロのカウンセリングな気がします」というものがありましたが、自分で書くことでそういった過去を成仏させているのですね。

一生懸命に親のことを悪し様に言ってはいますが、無論そこにいた仲間たちに比べたら雲泥の差の恵まれた環境だし、そしてそれを半ばはわかっていながらの反抗です。

以前の著書を読みながら、彼女がどこでキャバ嬢をやっていたのかが気になっていたのでしたが、本書で明らかになりました。
川崎でした。
一応、SFCのある藤沢へは東海道線一本で行けますが、選んだ盛り場が横浜ではなく川崎だったというのも、なんとなく場末感があって彼女らしいです。
そこに集う女性も新横浜から流れてきた子がいたりして、新横浜からは横浜へは行かないのだな、と。
ああいう業界でも、なんとなく納得できる傾斜はあるものです。

本作のストーリーのほとんどを占めるのは、流れで居着くようになったマンションの一室での出来事。
一ヶ月後に開店するデリヘルの待機所として用意された部屋で、そういう時限的な空間であるところも物語として秀逸です。

ゼロ年代の初頭というのはああいう形で風俗業界も変わっていった最中なのだろうなと感じます。
当時自分がいた研究室には、社会人学生としてD通から来たおじさんがいたのですが、その人がゼミの発表で、携帯電話一本で店舗も構えずにその手の事業を始める奴らが出てきている、と話していたのを覚えています。
「女性を配達するからデリバリーヘルスと呼ぶんだそうです。」と。
風俗産業が店舗を構えて行うものから無店舗型のものが主流になるちょうど境目の時期だったのでしょう。

桶川ストーカー殺人事件は1999年の事件でしたが、犯人グループは店舗型の風俗店をいくつか経営する兄弟・仲間だった、という話でしたから、そこから数年、その変化は急激だったのですね。

黎明期だけに、山っ気のあるホストやチンピラだとかがこぞって参入した時期なのでしょう。
本書でも、得体のしれない面々によってその一室を中心に経営されることになる「ヘルシーメイト」は、結局ビジネス的な甘さによって後に半年程度で潰れたことが記されています。

少なくともその「ヘルシーメイト」では嬢にはならなかった著者。
でも、読者である我々は、そんな「売ることに抗っていた」鈴木さんが後にはAV女優となったことを知っているわけです。
この時点での抗いがどのあたりで霧消して「売る」側にまわったのか。
次回作ではそのあたりを知りたいと思った一冊。

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