林真理子『成熟スイッチ』読了。
ブサイクな表紙に惹かれました。
恥ずかしげもなく若い頃の写真と現在の写真とを併記して、使用前使用後みたいなことになっていますが…。
この表紙が訴えているものが、時とともに「成熟」しましたよ、ということなのでしょう。
ただ、自分はバブル世代の人間ではないので、「林真理子」という人を、実はあまりよく知らないのですね。
昔を知っている人からするとこの変化も含めて楽しめるのかもしれませんが、自分はそこまでの知識がないので、十分に享受することができていません。
右側の写真に関しては役所の奥の方によくいるおばさんっぽいな、という印象。
およそ作家という自由人なイメージとは程遠いのですが、まあ、これくらいでないと日大の理事長なんて勤まらないのでしょう。
若い頃から野心を持って偉い人に取り入り可愛がられた話が続きますが、今や同じことを若い人に施す立場になっていることや、それから同年代の人間に対するマウンティングも忘れずに触れています。
もちろん毒を吐いた相手のことは匿名にしていて、その殆どが自分にはわからないのですけれども…。
上・同・下世代に対して変化をつけた態度を意識的に取ることでうまくやってきたご自分の武勇伝と言えなくもないのですが、特にそれを「成熟」と呼んでいるわけではなさそうです。
あとがきには、毎日新しいスイッチを入れながら、自分の変化を楽しもう。成熟にはキリがない、とあるので、日々の挑戦こそが成熟に向かうための鍵ということのようです。
新しいことに触れていかないと老いてしまう、という言い方は巷でもよく聞きますが、キリなく成熟していこう、という言い方が新鮮です。
なので「成熟スイッチ」というのは林さんの造語でしょうが、当初いまいちピンと来なかったのでした。
気になったのは旦那さんとの距離感。
自分が60代で旦那さんが70代。
世代の差というか価値観の違いに振り回され、今も溝はあるもののここまで来たら離婚までは考えないけれども、という前置きはあるもののぶっちゃけトークの数々。
夫婦の数だけ関係の有り様はあるのでしょうけれども、その点ではあまり幸せそうに見えないのです。
家庭で幸せを感じられないのであれば、その他のすべてが上手くいっていても物足りないものだろうに、と考えてしまう自分は、新人類以降の世代なのでしょうか。
出歩くのが好きだ、というのも家庭にいると気が滅入ってしまうことの裏返しだったりしないかな、なんてことを考えてしまいました。
無論、そういった不満が文筆活動に向かうことで我々は作品を楽しむことができる、という一面はあるのですけれども。
あ、ちなみに私は林さんの作品で読んだことがあるのは『下流の宴』だけです…。