岩井勇気『僕の人生には事件が起きない』読了。
雑誌の連載と書き下ろしをまとめたものです。
タイトルの通り事件の起きない日常を、角度をつけて楽しむ様が書かれています。
本書のもとになった小説新潮でのコラム連載が、著者にとって初めて「文章」を書くという経験だったとのことで、まえがきではそのあたりの葛藤だったりも書かれているのですが、なかなかどうして話にオチはついているし、うまくまとまっています。
考えてみたら、日々、漫才のネタを考えている人なので、話の展開のさせ方の技術だったりは十分に持っているわけですね。
そういうところを見込まれての起用だったのでしょうけれども、そういう見極めをされたところにも思うところはあったようで。
自分の名前だけで積極的に前に出ることに慣れてないというか、気恥ずかしさみたいなものですかね。
およそ芸能人ぽくないですが。
すでに知っているエピソードがあるなー、と思ったのですが、ラジオ「ハライチのターン」で話していたことも混じっていますね。
澤部との掛け合いで成立していた話が、一人で書く文章になるとこうなるのだな、と。
いや、どちらが面白いとか面白くないとかいうのではないのですが、この語り口は文章向けで、これを一人でラジオで話したら、特に山場もなく淡々と進んでしまうだろうな、というのはありますね。
文章なら岩井の一人語りが良いですが、トークならハライチのセットでお願いしたい。
そんな感じです。
何も起きそうにない日常でも、ネタのためにひとつの行動を続けてみた、という日々を綴ったのが、与謝野『100日間おなじ商品を買い続けることでコンビニ店員からあだ名をつけられるか。』でした。
一方、本書の著者は、そんな日常の中で、少しだけいつもと違うことを求めて、いろいろなことに手を出し、その都度面白い解釈を見つけ出してきます。
こういうのはやはり才能なのでしょうね。
中には、こういう連載という形で吐き出す先があるから、多少嫌な思いになったとしても構わないとして一歩踏み出しているのだろうな、みたいなくだりも無きにしもあらずですが、そういう文章のなかに、著者の人となりというか考えの一端が見えたりしてゾクゾクします。
同窓会への嫌悪感を示した章では、収入額だけが評価軸になっている旧友?知り合い?への軽蔑であったり、タクシー運転手に怪談で逆襲する章では、相手によって態度を変える人間への嫌悪感であったり。
昔読んだ本で、私小説家は自分の体験をネタにして書き続けないといけないから、過剰に自堕落になったりして、結局生活そのものが破綻するケースが多々ある、みたいな記述がありましたが、こういうなんでもない日常からおかしさを切り取り、なおかつ文章化する術がある人には、そんなことも無かろうかな、と。
優等生ではない。
世を拗ねているようで拗ねきっていない。
親兄弟と確執があるわけでもない。
仕事を振れば、圧倒的ではないものの何でもそつなくこなす。
学業で言うとクラスの3,4番手くらいの奴にこういうのが多いですかね。
出身校を調べたら伊奈学園(イナガク)だし、その予想は当たらずとも遠からずかも、と。
中学では、あまり勉強をしないでもテストはそこそこできたし、内申が悪いわけでもないので苦もなくそこに進学した、という口でしょうか。
でも、一番面白かったのは書き下ろしの終章、「澤部論」。
自分の意見をまるで持たない。
実体がない。
無であるがゆえに、世の中に評価されるすべてのことを吸収してそれをアウトプットできる。
だから澤部はテレビで評価されるけれども、澤部が一番好きという人はいない。
でもオレはそんな澤部が好きだぜ、という。
そして著者自身の芸風はそんな澤部の逆を行くことで成立しているわけだけれども、自分ではそれ、楽しんでるんだよねー、と。
そうか。澤部は一昔前の勝俣州和の上位互換だったのか。
絶対YouTubeやっちゃいけないタイプですね。
kindleunlimitedで読めます。
コメント
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