笹倉明『山下財宝が暴く大戦史』読了。
経緯はわかりませんが、1998年に出版されたものの復刻版です。
元の原稿は『正論』で一年にわたり連載されていたとのことで、お宝の話ですがオカルトとか夢がある話だったりするわけではありません。
東南アジアに造詣の深い作家の手による山下財宝の本、となると現地で沈没した生活を送りつつ、一攫千金の夢を見て各地を掘り歩いている、なんていうパターンを想起しましたが、著者は少し違うようですね。
知り合いの中にそういう人もいて、そういう人の末路などにも触れています。
でも、むしろちゃんと掘り起こしたがゆえにマルコスに狙われた当人とも交流があり、その手記も丹念に読み込んで取材するなど、「発掘」よりもそれを巡るストーリーに魅せられているようなところがあります。
その原動力となっているのは、本書の副題ともなっている「旧日本軍は最期に何をしたのか」への関心なのでしょう。
山下財宝についての話となると『M資金』のように、徹頭徹尾怪しいものであるのが普通です。
でも著者によると、彼の地フィリピンにおいては、それは有るのか無いのか、ではなく、少なくともどこかには有る、というのが人々の中で前提としてあるのだそうで、いかにもフィリピンぽいですね。
そして、実際に掘り当てた人を襲いその黄金を奪ったのがマルコスという時の大統領だというのもとてもフィリピンぽい。
ハンターが掘り当てた黄金のブッダを、警察官を使って奪い、大急ぎで職人にそのコピーを作らせ二週間後に返却するもすぐにバレるとか、どんな安いドラマでもありえない展開です。
本書は財宝を奪われた当人の物語と、終戦間際の旧日本軍の行動についての分析が主です。
前者が、マルコスによって人生を歪められた人の物語である一方、後者は敗戦に向けた単なる撤退とするには不可思議な部隊の動きを緻密に追っています。
そして、著者自身はある程度ここに埋められたのであろう場所も特定できているようですが、本書には書かれていません。
まあ、もう既にマルコスの手によって掘り尽くされてそうですけれどもね。
英米蘭仏がアジアの植民地で蓄えた富を、ごっそりと収奪した旧日本軍。
敗色が濃くなり各方面からの撤退を余儀なくされ、いざというときのために隠し埋めた財宝が、フィリピンの独裁者の私腹に化けたというのはなんという喜劇でしょうか。
埋蔵金というのは、探しても探しても見つからない、くらいが物語としては微笑ましいのかもしれません。
糸井重里はなんでこっちに関心を向けなかったのだろう、なんてことを思った一冊。