映画『ムーンライト・シャドウ』視聴。
小説は読んでいないので、原作と違う点があるのかどうかまではわかりません。
事故死という予期せぬ出来事による別れが襲ってきたときに、相手の死をどうやって受け入れるのか、そして乗り越えるのか。
そんなテーマの作品ですが、冒頭からやつれ気味の小松菜奈さんが痛々しく、役作りに相当頑張ったのでしょう。
最後のシーンでは回復しているので、これは最初に撮ったのか、それとも時を空けて撮ったのか、それとも化粧含め演技力の賜物なのか、興味は尽きません。
全編を通して幻想的なのですが、多分にそれは事故後から振り返った映像という体なので、死・別離が訪れる前の楽しかった日々の出来事も記憶の中で少し靄のかかった再生との演出なのでしょう。
橋の上での別れが永遠の別れになったというセリフがあります。
そこからうかがえるのは、彼女は葬儀には参列しなかったということですね。
彼の死を受け入れられなかったのはそれもあるのかなという気がします。
ショックすぎて出席できなかったのでしょうけれども。
通夜・葬儀への出席や火葬場へ赴いたりというのは、知人や身内の死を自分ごととして受け入れる、一つのきっかけとなるものですね。
お棺の中で眠っている故人を見たり、場合によってはその後に火葬炉に滑り込むそれを見たりして、「ああ、これでもうこの人の姿を見ることはないのだな」と納得するという。
葬儀会社や火葬場の人がよく「故人への最後のご挨拶を」と言うのは、本当に最後なのです。
そこからものの数時間も経たないうちに骨になってしまいます。
そして本当にお別れしたのだな、と。
少し熱を持った骨壷をいただくと、幾分か落ち着いた気分になるのが不思議です。
バタバタが少し片付いたという感もあるのかもしれませんが。
別に宗教的な話を持ち出すまでもなく、一連の弔いの作法・儀式によって、関わった人の死をなんとなく受け入れられている自分がいます。
本作ではそんな別れのステップを、葬儀ではなく臼田あさ美演じる怪しい女性の呪術的な仕草によって果たしたと言えるのかもしれません。
月影現象という名はついていますが、本当にその現象だったのかはわかりません。
単なる臼田さんの催眠術の仕業かもしれないですよね。
でも、そのトリップ状態の中で彼と再会し、別れた。
そして、「ひとつのキャラバンが終わり、また次が始まる。」のですね。
Hulu、U-NEXT、dTVでも観られます。