バリー・ランセット『トーキョー・キル』

バリー・ランセット『トーキョー・キル』 評論

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バリー・ランセットトーキョー・キル』読了。

主に東京を舞台にしたアメリカ人作家の推理小説なのですが、解像度が非常に高いです。
日本に住む我々が読んでもまったく違和感を感じません。
スシもゲイシャも出て来ないしハラキリもありませんので。

その代わりに舞台となるのは、歌舞伎町だったりゴールデン街だったり。
横浜中華街を説明するのに、黒船と開港の歴史が紐解かれるのはまだわかりますが、所沢を説明するのに球場だけでは飽き足らず、新田義貞が幕府軍と戦った古戦場のことまで引き合いに出してきます。

ストーリーも、旧大日本帝国から満洲国皇帝たる溥儀へ贈られ、そして隠された財宝を追って様々な人間が登場するというものなので、日本やチャイナの近代史についての知己も相当に高くないと紡げません。
なにせそれらの殆どは美術商たる主人公の口から解説される形で話も進むので。

主人公の設定は、アメリカ人の父と日本人の母(追記:ハーフなのは娘で主人公は母もアメリカ人でした)から生まれた探偵兼古美術商で17歳まで日本の公立学校に通っていた、というものです。
なので、設定としてはまったく不思議ではありません。
ええ、設定上は。

ところが著者は別に日本人とのハーフでもなければ日本で育ったわけでもないのですね。
東京に25年住み、日本の出版社で編集の仕事をしていたという経験はあるとのことですが。

日本で働いていたからといって、必ずしも日本文化に精通するわけではないし、ましてやかなり込み入った部分までの日本史を、あまり偏ることもなく得られる知性というか感性というか。
読みながらもそういったあたりに興味がつきませんでした。

日本で仕事をする外国人のメディア関係者であっても、というかそれであればこそ、これは日本の一部のマスコミ界隈の意見に相当に引っ張られているな、と感じるようなことは往々にしてありますからね。
どことなく、日本を見下す視座を伴うそれは、彼ら生来のものであったものか、それとも付き合う日本人からもたらされたものなのかは不明ですが。

ところが本書には、そのような上からの視点が一切感じられないのです。
もちろん、主人公が半分は日本人という設定なので、そういう視点を埋め込みづらいというのもありますが。

ただ、著者の経歴を見て、もしかしたらそれも関係しているのかな、という気がしました。
UCLAで心理学、UCBで英文学を修めたということです。

少し長くなりますが、思い当たることがあるのです。
昔、勤め人だったころ、自分が上海への出張に赴いたとき、某証券会社の香港支店から、アソシエイト(若手)がアテンダントとしてあてがわれたことがありました。

少し愚痴めいたことを言うと、その出張は自分のファンドマネージャーとしての調査のそれというよりは、ロンドンの現地法人社長をもてなす接待旅行的なものでした。
なんでそんなものを自分が担当することになったのかというと、上司に行けと言われたからです。
で、なんで上司が彼自身では行かずに私に行かせたかというと、上司自身がそれをするメリットが無くなったからです。

ややこしいですね。もう少し説明します。
今もって有効であろう退職時の守秘義務契約に反しない程度で話をすると、当時自分のグループではアジア株のファンドを運用していました。
ゼロ年代半ばの話で、パフォーマンスの伸びは主に中国株に依存していました。

そのファンドをヨーロッパの投資家に販売してくれていたのがロンドンの現地法人でした。
その現地法人社長を始め、拠点の方々が営業を頑張ってくれるとそのファンドの残高も増えるというわけです。
そういう事情もあり、何度かロンドン拠点とテレビ会議を持ったことがありました。
彼らにファンドのことを知ってもらわないと営業もしづらいでしょうからね。

ところが、それらの会議を経ても、その現法社長いわく「どうも、中国が成長しているというイメージが湧かない。」と。
「行ったこと無いし。」と。
その社長は、奥さんがイギリス人で、もう長いことロンドンで暮らしていて、チャイナどころか東京の事情も最近はあんまり…、みたいな方でしたので無理もありません。

ただ、当時としてはまだそういう態度はありふれたものでした。
NYのストラテジストに原油価格の高騰について尋ねたら、すぐ近くにある貯蔵庫が先週の台風で破壊されたのが響いてる、みたいなことを言われたので、チャイナでの需要の高まりとかそういう構造的な変化は関係ないのか、みたいな返しをしたら、お前は何を言っているんだ?みたいな顔をされたこともありましたから。

それはともかく、そこで自分の上司は席上、
「ぜひ、中国の発展を見てあげてください。何なら僕が案内しますから!」
みたいなことを言っていました。
まあ、半分本気、半分冗談だったんでしょうけどね。

で、しばらくそんなやりとりがあったのも忘れていた頃、ロンドンの現法社長から上司宛に連絡がありました。
「近いうちに東京に一旦戻るんだけど、その前に一泊上海に寄ってみようかと思う。ついては案内してくれるとありがたい。」と。

なんでこのタイミングに?みたいなところはあったものの、上司はそれを快く引き受け、自分の出張としてスケジュール等を組み始めました。
訪問する企業とのセッティングなどは付き合いのある証券会社に任せるので、彼自身が事前に何かをしなくてはいけない、というものはそんなに多くないのですが、一応は社長を接待することになるのでそれなりに気を使ったやり取りをしていました。

ところがしばらくして、奇妙な話が伝わってきました。
その社長は近いうちに転職するらしいというのです。
どうやら彼が東京に来るというのも、退職の手続きのために本社に赴かないといけない、というのが目的で、その前に上海で一泊遊びたい、ということのようです。
ただ、彼の口から直接はそんな話は聞いていません。

でも、その噂の確度が高まった段階で上司は私に「上海へはお前が行って来い。」とその仕事を私に投げました。
もはや現法社長で無くなる人に自分が媚びを売る必要はない、という彼一流の投資判断ですね。

自分が会社を辞めるというのに、自分の部下ですらない人間に自分の旅行の手配を頼む現法社長も現法社長なら、組織での上の人間で無くなる相手をお世話しても無駄だとして、その役回りを部下に投げる上司も上司です。
で、重要度の下がったその出張へは、証券会社からのアテンドもいつもの担当セールスではなく、UCのどこだかを出たばかりだというアソシエイトの香港人の男の子になりました。
運用会社から出向くヤツも下っ端なら証券会社から派遣されるヤツも下っ端というわけですね。
飛んだ珍道中です。

その彼は、UCでの4年間のうち1年は交換留学で上智大学に通っていたと言う割には、一切日本語を理解しませんでした。
多分、早見優とか西田ひかるが在籍していたあの学部でしょうね。一切日本語を使わずに済むという。
あんまり語学センスがないのか、実は北京語もほとんど解しておりませんでした。
上海滞在中も「シェイシェイニー」以外、ろくに現地の人間と現地語で会話していなかったような…。
ていうか「シェイシェイニー」は広東語でも「シェイシェイニー」だったりします?

それでも、上司を浦東まで迎えに行く前に、彼と上海のホテルで落ち合った際、挨拶もそこそこに彼は私の顔を覗き込みながら「これってユーのボスのレジャーのトリップってことでいいんだよね?」と言い、互いに笑いあったあたりでもう打ち解けたのでした。

その出張は、企業訪問もそこそこに専ら上海観光となりましたが、その間彼の学生時代の専攻の話が興味深いものでした。
アジアの近代史を学んでいたということでしたが、満州事変から日中戦争、それから第二次大戦について、日本にもチャイナにもかなりフェアな見方をしていたのですね。

ゼロ年代といえば、まだチャイナは成長を続けていたものの、一方では反日運動が話題になっていたころで、アジアカップでの暴動とかイトーヨーカ堂の焼き討ちとかがニュースになっていた頃でした。
件の現法社長はというと、アジアについてはほとんど関心がないとはいえ、表面的なその手のニュースは押さえていたので、なぜ急にチャイナの人民が反日になったのか理解できなかった様子。
そこで彼が始めた話というのは、満州事変前後から始まるものの、日本の侵略という一面の見方ではありませんでした。

共産党・国民党のみならず各地の軍閥の勃興から関東軍を中心とした日本の動きまでおおざっぱにまとめた上で、江沢民体制下のネタとしての反日についてを解説していました。
あくまでもネタとしての日本悪玉説と、実際の歴史とは異なるもので、それはもちろん学問をやっている連中はわかっている話だけれども、政治は政治なので、というものですね。
上海のレストランでしたが、英語でのレッスンだったので別にどこからも咎められませんでした。
まあ、彼は香港人だし、そんなに警戒感もなく話をしていました。
今同じことをしたらどうなるのかはわかりませんが。

それはそれとして、それでも当時すでに現地のカンファレンスなどで本土の運用会社の人間からあからさまに反日的な態度を取られることがままあった自分には、ネタがベタになった世代がもうオトナになっているんだよなぁ、なんてことを思ったのでした。
割り切って仕事をしていたところはありますけれども、それでも日本人だといういうだけで攻撃的な態度を取られるのは、気分的に良いものではなかったですね。

どうも日本にいると、いわゆる海外の見方ということでもたらされる情報も過剰にリベラル寄りで、日本人というだけで悪の存在であるかのように感じてしまいがちですが、それはひどく一面的です。
「日本スゴイ」にも「日本悪くない」にも首を傾げたくなる言説はありますが、それらがいわゆる自虐の裏返しだとするなら、どちらも一面的過ぎるということなのでしょう。

ちなみに、その現法社長からは出張中、最後までご自身が退職する話はありませんでした。

だいぶ話がズレました。
トーキョー・キル』の話でした。

一連のエピソードで何が言いたかったかというと、著者もそのアソシエイトの彼と同じくUCで学んだということなら、もしかしたら来日する前から、アジアの中での日本の近代について、そのイメージというか原型は持ち合わせていたのではないのかな、という気がしたのですね。

で、それらを持ってしても、旧日本軍の残虐性についてはネタにせずには居られないものだったのだな、と。
あとがきでは、実際に日本軍兵士から話を聞く機会があり、それが着想につながったとのこと。

本作でも満州での「特殊作戦」に従事した登場人物が出てきますが、齢80を越えています。(本作は2014年の作品)
実際に聞いた話を踏まえた創作も、今後はいよいよ難しくなっていくのかもしれません。

それなりにフェアな視点での日本の近代、その因果を含んだところを一級のエンターテインメントに仕立てた一冊。

追記:第1作目の『ジャパンタウン』についてはこちらで書きました。

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