鈴木涼美『ニッポンのおじさん』読了。
著者の表の経歴は、SFCから情報学環に進み、日経記者を経てフリー、ということになるのでしょうか。
でも、元々はコギャルでキャバ嬢やりつつAVにも出てました、という裏の顔?もあって、時代が時代なら、神泉のアパートで他殺死体となって発見されてもおかしくなさそうな人です。
それでも、フリーとなってからの書きぶりと言うか扱うテーマは、その表と裏とがうまい具合に統合されていて、ニッチな鉱脈をうまく掘り当てましたね、と。
しかしそろそろ40の声を聞くようになる中で、女子として語り続けることがいつまでできるのかという心配はあります。
この立ち位置も、それはそれでAV女優と同じく賞味期限のあるもの。
よくある『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』ですが。
本書では、数多くのおじさんをぶった切りましたが、そのあとがきで、文句を言われたときは
「これからもそういうときは自慢の笑顔とFカップで、黙らせようと思います。」
としていますが、それが通用しなくなるときがそろそろ来るわけで。
でもそれを自身でも半ばは理解しているのか、それともそれより先に物理的な終わりが来るのを覚悟しているのか、
「元ポルノ女優なんて若くして死ぬ人が多いのだけれど、私はキングダムが完結するまでは血反吐を吐いても生きようと思っているからね。」
なんてフラグを立てています。
社会学を語る芸能女性としては、遥洋子という先達がいましたが、すっかり見なくなりました。
著者は、その上位互換的な感もあるのですが、引き出しの多さはその比ではありません。
ゆくゆくはどこぞの大学講師に収まったりするのがベターかと思うのですが、お股を開いていた人を大学人として雇用するのは難しいでしょうか。
とはいえ、遥女史とは違い、これだけSNSを中心に炎上しやすい世の中にあって、自身の書いたことに罵られることが少ないことの理由を、元AV嬢だったからだとしていますが、もちろんそれだけではないでしょう。
単なる社会学者であれば、社会学は知っていても社会は知らない的な話になるところ、政治部記者の経験もあります、という。
それに加えてキャバ嬢もAV出演経験も、というところの幅の広さですよね。
単なる元AV女優とは違うわけで。
ところでAV女優の場合、観音様的なすべてを受け入れてくれる存在としての受容を求められるのに、「元」になると、逆にいくら男を攻撃しても構わないキャラになるんですよね。
飯島愛がそうでしたが。
著者は、日本人が他者の話に聞く耳を持つようになる鍵としてドラッグクイーンの存在を挙げています。
明らかに自分とは異なる存在であることを認識しないと、相手の話を聞かない、というところから、でも、他者って本来そういう存在だよね、と。
そこまでわかった上で事あるごとに「元」であることを強調し、お水の話も政治の話もしているとしたら、相当な戦略家ではあります。
飯島愛は、テレビに出るようになってからしばらくは、前史を無かったことにして活動していましたからね。
いずれにせよ、場末のキャバ嬢が語る「男ってそういうもんだから」と政治部記者の語る「男ってそういうもんだから」は違うはずですが、両方を経験していて、なおかつAV女優でもあった女性の語る男性像に反発はしづらいでしょう。
でもですね。
本書では、自身のこれまでの人生と絡めての記述が出てきますが、AV女優時代の話はほとんど出てこないのですね。
「元」というのは、肩書として使うには有用なので使うけれども、そんなに中身のあるものではなかったというか、ご本人にとっては別に大きなものではなかったのかもしれません。
せっかく背負ったスティグマなので有効に活用させてもらうにせよ、そこに過剰に何かを意味づけしているわけではない、と。
高校生時代の記憶や、キャバ嬢時代の話、それから記者時代での出来事からの引き出しは多いのですが、この女優だった時代、それから学生時代の話はあまり出てきません。
特にSFC時代の話が皆無だったりするのは、やっぱりそれは不毛な学生生活だったのかな、と。
というか、SFCに通いつつ夜の仕事ということはどのエリアのお店だったの?、とか、まともに通学してなかったんじゃないの?、とか、思いますが、それはそれ。
単にSFCの出身者でSFCのことを語らない人って逆に少ないので、気になっただけです。
SFCの人の饒舌さは、あれはあれで普通の慶応の人に対するコンプの裏返しなのだと知るまで、少し時間がかかりましたが。
あとは、どういう青春をこじらせたらこんな人生になるのかと思いましたが、
「多くの文学少女は太宰やサガンやボードレールやドグラ・マグラやねこぢるを読んで思春期を過ごしているし」とあって、そっち系の人か、と。
周りを見回すと、そういう人は大体、911でも311でも陰謀論にハマったり、スピ系に落ちていったりしたものですが、お水・AVに落ちたらこうなるのか、という思いが一つ。
そして落ちたところから見えたものについて、一つ一つを丹念に考えていくと、ここまで這い上がれるのだという思いが一つ。
でも、この先それを続けていくのは、それはそれでしんどいよなぁ、というのが一つ。
だからこそ短命を意識してしまったりしますが。
あとは、自分の周りでミスチルが好きだという男は皆無なんですが、そこはどう解釈したら良いのかというのはありますね。
というよりミスチルを聞く主体的に聞く男を見たことがなく、逆に自分の関係先の偏りを感じ入った次第。
確かに自分は、90年代はいわゆるJ-POPはあまり聞かなかったしクラブ通いも続けてはいたものの、HEY!HEY!HEY!くらいは見ていたし、そんなにズレていたとも思いませんが。
ミスチルに過剰な意味付けをして消費している男がいたということに驚きました。
PUFFYの曲の歌詞と同じく、聞き流しておくべきものという理解でいたので。
鈴木涼美という人の目を通した時事評論ではありますが、分野によっては時事に疎くなっている自分にとっては、時事解説そのものとしても有用だった一冊。