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松尾諭『フラッパー』読了。
1975年生まれの著者の、小6の夏からつい最近2016年までの物語。
爪切男さんの『クラスメイトの女子、全員好きでした』的な軽めのエッセイを期待していましたが良い意味で裏切られました。
タイトルの「フラッパー」という語は知りませんでしたが、そういう大多数の人向けに1ページめに解説が載っています。
1.奔放に生きた若い女性を指すスラング
だそうです。
でも、本書の場合、告白してはフラれる、それでも三日後には立ち直り他の女子を好きになる主人公を指しているのでしょう。
その女子たちとの思い出を、「A倉」から「N畑」まで面白おかしく書いています。
A~Nなので計14人。
よくそんなに告白できたものだ、という思いもしますが、それよりもよくそんなに昔のことを覚えていられたな、というほうが大きいです。
もちろん脚色は入っているのでしょうけれども。
それだけの人数を「経験」するには、そこまでには至らない多くの人々とのそれなりの関係の深さがあるわけです。
実際、本書に登場する人物たちには、男女問わずその距離感の近さを感じます。
無論本人の性格にも依るところは大きいでしょうが、育った環境の特殊性というのもあるのでしょう。
冒頭に地図が記されていますが、主人公が育ったのはいくつもの棟からなる大きな団地です。
その団地の中に小学校が2つ、中学と高校が1つずつ。
オトナになるまでその内側だけで生活が完結できる環境です。
そこで暮らした者同士というのは大きいように思えます。
数十年経って、その場所でドラマのロケがあったところでの描写で作品は終わりますが、本人も「不思議なマチ」だったと振り返っています。
自分も団地で育ったのですが、団地内での近所付き合いは濃厚といえば濃厚でした。
一つには敷地内には車が入り込まないから、というのがあったように思えます。
移動手段は徒歩あるいは自転車で、そうすると否が応でも出歩けば人には出会います。
子ども同士も親同士も。
自分は小6の冬に、親が家を買ったことで団地から戸建てに移りましたが、そこでの変化は大きかったですからね。
ご近所さんというものに微妙に距離を感じるようになったのは、外出のデフォルトが車になったということもあろうかな、と。
で、本書の主人公は高校を出るまでこのマチで育ったけれども、その間告白してはフラれるを繰り返した気の多い男の子であった、というのがタイトルに沿った大意。
でも、本当に好きだったのは、ずっとただ一人だったという純愛モノでした。
その子のことは本書でもイニシャルを使わずに「ミナト」と特別に扱っているので、途中で気づくは気づくのですけれども。
男女の友情が成立し、彼女に語った当時の夢を叶えた自分が、その半生を青春モノとして書き上げる。
いやー、いいですね。
それにしても、塾に行きだしたら、その高校に入るレベルにまで成績が上がってしまい、だったらもう塾には通わなくてもいいのでは、と親に退塾させられるのが面白い。
これが関西の庶民のリアリティでしょうか。
あと、友人のキヨタのモデルとなった人物が誰なのか気になりました。
1975年、もしくは早生まれなら1976年生まれの大卒社会人を経てのJリーガーで日本代表経験あり、という設定です。
でも、そんな選手いたかなぁ、と。
サッカーで言うといわゆる黄金世代ですからね。
城・川口といったアトランタの面々の中で、大卒社会人を経た代表選手。
心当たりがありません…。
まあ、このあたりはそういう設定ですからね。
代表合宿に一回呼ばれたとかいうことなのかもしれないですし。
オモロくてもモテない関西人もいる、ということがわかる一冊。