爪切男『クラスメイトの女子、全員好きでした』読了。
Webマガジンみたいなところの連載を単行本にしたものだそうです。
そのせいもあってかかなり軽い筆致です。
1979年生まれの香川県の少年少女のエピソード集ですが、著者がこの登場人物のようにこんなに純だったのかは甚だ疑問の残るところです。
それに、こんなに次から次に可愛いと思える子がクラスにいるものだろうか、と。
あとがきで、かなり脚色があることは、自身に「人生や思い出を美化してしまう悪いクセがある」と舌ペロしてますけどね。
どこが美化でどこがリアルか、というあたりを探りながら読むのも楽しいのかもしれません。
そもそも、「クラスメイトの女子、全員好き」になるわけないですからね。
タイトルで、あー、こいつ相当盛ってるな、と思わないといけなかったですね。
自分の場合、私の小中学校の卒アルを見た妻が、
「普通、クラスに一人か二人は可愛い子がいるもんだけどねぇ。」
と呆れたくらいには、人材不足でまともに恋にも落ちませんでした。
マドンナは数年に一人の割合というか、自分自身も初恋の女性は一つ上の学年の人で、その人が卒業したら、その後自分が卒業するまで特に次誰にときめいたということも無かったのですよ。
それに引き換え、小中高のクラスメイトだけで20本の小話を書ける程度には惚れ込む女の子がいたという環境は羨ましくもあります。
(一人はゲイなので除くとして少なくとも19人。)
父親からの言いつけもあり、女の子のことをすべて記憶するように努力した結果、「クラスメイトの女子、全員好き」(という設定)で、ストーリーを練ることができるほどになりました、と。
それにしても20例も取り上げて女性を褒め称え続ければ、なんとなく著者のストライクゾーンの広さが分かるだけでなく、大抵の女性なら、これって私、と投影できる像が見つかるわけで、そこをピンポイントに褒めてもらえるのだから、まあ、こういう書きぶりは好感度を上げますね。
彼のTwitterを覗いてみても、女性陣からの評価が高いのはそういうところでしょう。
客観的に見たら、風俗狂いの40代の派遣社員男性(独身)って、モテ要素ゼロのはずですが・・・。
逆に言うとこういう属性だからこそ、どんなに俗っぽいテーマでも響く層の間口が広く、誰からも反発されない立ち位置でいられるという、まあ、こういうのが令和の作家の有り様なのでしょうか。
同じ作家であっても、一流大学の出身で、妻がモデルで、官費遊学したり、それでも今やTwitterでの活動家まがいの発言でしか見かけない平野啓一郎を育んだ平成とは、やっぱり時代が違うのですね。
あと、異性との接し方とは別に、本文で気になったのが一箇所。
「所詮、小学校における学級委員選挙なんてものは、ガキ大将の言いなりになるクラスの代表者を選ぶための投票にしか過ぎない」というくだり。
この感覚がよくわからないのですね。
自分の小学生時代を振り返ってみても、学級委員がなにか重要な役回りをするということもなかったし、ましてやそれがガキ大将というものとの関係性で語られることもなかったように思えます。
そもそもガキ大将というものがもはや絶滅危惧種だったのかもしれません。
典型的なガキ大将像としてジャイアンを念頭に置いてみることはあっても、ああいう子が実際に学校にいたかというと、いなかったですね。
まあ、それを言ったら、空き地も土管も見たこと無いわけですが。
そういったものの喪失がガキ大将の消失へと云々、で社会学の本がありそうです。
というか、社会学でなくとも赤坂真理の『愛と暴力の戦後とその後』にそういったことが書かれていたような。
本書については、Twitterで「オンライン同窓会」ならぬ「本ライン同窓会」と評している人がいて、名言と思いました。
同窓会の、そういう甘酸っぱい気分にはなれる一冊。
だいぶ人工甘味料的な要素はありますが。
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