映画『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』

映画『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』 評論

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映画『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』視聴。

僕等がいた』の三木孝浩監督の作品です。
一気見したのでアマゾンにオススメされたのでしょう。

タイトルの意味にモヤモヤしながら、事前知識無しに見始めました。
叡電で出会いそして別れる、京都を舞台にしたSF映画ですね。
タイトルも中盤には回収されます。

秘密の箱が出てきたあたりで、『今、会いにゆきます』でもあったなこの展開、とある程度先が読めてしまうのですが、それでももう一捻り加えているのですね。

そこがこの物語の悲しさというか素晴らしさというか、それを知ってからの後半が切ないです。
というか、それを知ってからもう一度見直すべき作品なのでしょう。
VOD向きです。
そして、途中からは日記の通りに二人が行動するという意味では、ウッチャンナンチャンの「未来日記」みたいなところも。

冒頭、精華大の学生である福士蒼汰くんと美容学校生である小松菜奈さんが叡電の車内で出会うのですが、美容学校はあのあたりには無かったような…。
なんてことを思いながらも作品にどんどん引き込まれていきました。
平日の昼間から学生同士いちゃついていてもまったく違和感のない京都の街並みが良いですね。

ちなみに、自分が京都に住んでいるときに通っていたサロンの店員さんは千本丸太町にある美容学校の出身でした。
京都も美容院は供給過多ですよね。
他の街に比べると単価も安くなっていますが、京都人がケチだとかいうだけでなく、そういう事情はあるのでしょう。

彼女も、未来?過去?どこで美容師をすることになるのかわかりませんが、そういう意味では京都での就職はオススメしませんよ、と。
でも、そうすると35歳の彼女は5歳の彼を宝ヶ池で救うこともできません。
卒業後15年、最低でもそれまでは京都からは離れられないのですね。
いや、本作での小松さんはこの世界線の京都の学校に通っているのではないのかもしれず、余計なお世話かもしれません。

午前0時を過ぎると消えるのは、隣の世界線に移るからでしょうけれども、この30日間だけ昼間はこちらの世界線に進出してくる、という設定なのでしょうか。
完全に彼女だけ進出してくるのか、それともところどころ空間がクロスオーバーしているのか。
考え出すと止まりません。
でも、SFに詳しくないので、どういう理解をすべきなのかわからないのですね。
難儀なのは、時間軸が逆だという点ですよね。
時間軸は逆だけれども、一日の流れは二人で一緒にいる以上、同方向であるわけです。
逆向きながらも重なる2つの世界線という設定で、それぞれの記憶はどうやって作られていくものなのでしょうか。
寝たらリセット?とか。

とはいえ、逆向きであっても出会ってすぐに何かを感じあうというのは、やはり運命というものなのでしょう。

当たり前の話ですが、普通の恋愛は、相手が死なない限り歳の差は常に一定です。
けれどもこの作品では、二人の歳の差が0~40と可変するなかで、恋人として互いを認識できるのがこの30日間だけ。
その残酷さといったらないですね。
結局結ばれたのも一度切りだし。

恋人として振る舞える最後の前日に、彼が自分の両親に彼女を会わせたのは、彼の覚悟の現れかもしれません。
これより先に恋人は作らないという。

この30日が終われば、次に出会うのは25歳の自分と15歳の彼女。
その次は30歳の自分と10歳の彼女。
そして35歳の自分は5歳の彼女を救う。
いずれも、もう恋人では無いのです。

その後、もし、彼女がこちらの世界線で生まれ変わるとしても、それは最短でも彼の40歳以上のときになります。
そうすると最低でも歳の差は40。
彼女が20になるときには彼は40歳より上ということに。
それだと運命を感じてもちょっとむずかしいでしょうか。

まあ、その際は彼の子どもあるいは孫として出会うという線でも良いかも知れません。
彼自身は40歳をすぎたあたりで他の誰かと結婚して、そこで生まれる子どもが彼女の生まれ変わりというあたりでどうでしょうか?

なんて、色々と妄想で余韻も楽しめる一本です。

U-NEXTでも観られます。

三木孝浩作品

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