岩井勇気『どうやら僕の日常生活はまちがっている』読了。
前著の『僕の人生には事件が起きない』の続編。
前著同様に「小説新潮」などでの連載を書籍化した体です。
芸人なのになぜか生活感のある彼の日常の切り取りが主ですね。
話ごとにちゃんとオチがついているのも前著同様素晴らしい。
そして、一部は「ハライチのターン」で聞いた話なのも同様。
巻末には、「初の書き下ろし小説」も収録されていますが、これは出来としてはそんなでもなかったかなー。
なんて、偉そうなこと言ってますが。
30過ぎてから実家を出ての一人暮らしというのも埼玉民あるあるです。
でも、その部屋が駐車場から少し遠い、という些細な理由で引っ越すあたりは、かつての自分とは違ったな、と。
自分の場合は、結局それで車に乗る頻度がガクンと減った結果、いったん車を手放すことを選んだのでした。
それから、ようやく始めた一人暮らしをしながら、思っていたものと違う、として思索を進めた結果、その原因を掴んだときの記述が、なんというか「ゆとり世代」っぽくて面白い。
彼自身が10代の頃に思い描いていたひとり暮らしとは、20代でのフリーター生活で、団地のような古いマンションに済み、洗濯機はベランダにあり、そこでタバコを吸ったり、給料日前には金欠になったり、それでも半同棲の彼女とよろしくやって、ある日彼女から妊娠を告げられ、運送屋への就職を決めひとり暮らしを終える、というもの。
広めのメゾネットで暮らす今の生活は、そういうものとはかけ離れていて違和感がある、というのです。
文章化する上での脚色は多少入れての未来予想図だったかもしれませんが、それにしてもこんなものは夢でもなんでもないですね。
普通に、というよりはやや自堕落気味に暮らしていたら、そうなるでしょ、という類の。
なんとなく『きみの鳥はうたえる』的な風景を思い浮かべてしまいました。
それはそれで良いのですが、思春期の青年が思う未来像がこれなら、国として経済成長はあまり期待できないのではないか、と。
いや、ちょっと主語が大きくなりすぎました。
まあ、でも個人の夢がこんな感じなら、逆に衰退しても別に不満はないだろうな、と。
とはいえ、自分らは一人暮らしといえば「東京ラブストーリー」的な、月9ドラマで見るような華やかな都心でのマンション生活を夢見ていましたからね。
いや、当時ですら新入社員があんな生活できるわけ無いだろ、みたいなツッコミはよくされていましたが、少なくとも理想としてはそういうきらびやかな世界があり、そしてそれに届かないがゆえの相対的な剥奪感みたいなものが、ネガ・ポジ双方に転がりうるエネルギーとなったのとはだいぶ異なります。
でも、そんな岩井的なゆとり世代も30代半ばにさしかかり、その次にはさとり世代ですか。
そのあたりになると、もちろんバブルは歴史上の出来事で、経済は衰退するのが当たり前で、自分が子供の頃に親がリストラされて、なんてのもザラで、何なら自分も初めから非正規で、でもだから何?みたいな感じになってくるのでしょうかね。
いや、でもそういう世界観を持つのが普通だとは限りませんね。
だって、彼自身「どうやら僕の日常生活はまちがっている」と言っているのですから…。