桐野夏生『インドラネット』読了。
「インドラ」という語は、ムスカが言ったあのセリフ、
「ラーマヤーナではインドラの矢とも伝えているがね。」
という、例のラピュタのいかづちについての説明でしか知りません。
この作品では、このタイトルは、主人公の追うかつての同級生の父が言ったという言葉から来ていますが、特段その語とか寓話とかを軸に物語が進む、とかいうわけではないので、そこは安心しました。
ラーマヤーナを下敷きにしていて、その知識がないと楽しめない、とかいうことだとちょっと難解だなと感じたので。
始まりは若者のアジア旅行記的なヤツですが、主人公は好き好んで旅に出るわけでもなく、ついには半ば脅迫されて成田を発つというグダグダからのスタート。
そもそも海外旅行は初めてで、現地に着いたら着いたであっけなく所持金を奪われるなど、だいぶ情けないですが、いたって普通の現代の若者かもしれないな、とも感じました。
考えてみたら、奨学金とバイトで学費を賄いながら大学を出て、とかいう姿が今日日の大学生の標準だとすると、そもそも学生時代に海外旅行に行く、という経験も無いのが普通ですよね。
そして、社会人になったはいいけど、底辺の客先常駐の派遣社員では、当然に休暇で旅行に行くという余裕すらないわけです。
結局のところ、主人公もそういういっぱいいっぱいの生活の中、とある事件を契機に会社を辞める踏ん切りをつけての旅立ちなわけですが、そのあたりの経緯も含めて、深夜特急みたいなギラギラした感じがないのが、なんとも当世的です。
貧しい若者という共通点はあっても、だいぶ背景が違うのですが、その違いこそがバブル期とそこから数十年が経ち、諸々を失った日本の彼我の差ということなのでしょう。
著者は、そういうあたりを露骨に描きたかったこともあるのかもしれません。
主人公の設定として、日常生活に疲れたエリート崩れだったり、何かしらの特技があったり、そういうのではないのもそういうことかな、と。
とはいえ、当世流の等身大の主人公では話が進まないので、色々と振り回されながらも、途中から急にたくましくなったり、旅の目的が強固なものになったりするわけです。
そのあたり、リアリティがない・行動の根拠が薄い、みたいなアマゾンレビューもあったりしますが、そこはあまり気になりませんでした。
登場人物にわざわざ
「逞しくなったねえ。」
なんて言わせているのはわざとらしいといえばわざとらしいですが。
個人的には、旅の目的なんて後から出来たっていいじゃないですか、みたいな感じはあります。
旅ってそういうものかもしれないですし。
ただ、ラストはどうなのかなー。
突然『すべてがFになる』みたいなことになるわけですが。
この作品ではラストだからこれで良い、とするしかないですね。
普通に考えたら、この先ずっと入れ替わりを続けるわけにもいかないので。
読み続けながらも、なんとなく東南アジア特有の熱気を感じながらの読書でした。
コーラとか傍らにあると良いですね。
いや、そこはセブンアップか?