千葉雅也『オーバーヒート』読了。
芥川賞候補作ということで手にとってみました。
というか、そういう帯でもない限りは、同性愛文学を読むことは無かったかもしれず、そういう意味では良い機会を得ました。
そして、読後感としては、まあ、もう読むこともないだろうな、と。
芥川賞向けの書き方なのかわかりませんが、自身の恥部も含め、隠そうともしないまるっきりの私小説。
同性愛の性描写は気持ち悪いだけでしたが、自分にはそういう嗜好がまったく無いことがわかったことは収穫です。
当たり前ですが同性愛者の交際には、結婚というゴールはなく、もちろん出産できるリミットから鑑みたタイミングのようなものもありません。
交際相手との関係を、どう処して良いかわからないなかでのひと夏の日々を、ああでもないこうでもないと考えながらの記録。
作品中、それなりに過去と今を行ったり来たりするのですが、別に過去に深い喪失があった、とかそういう込み入った話でもなく。
いや、確かに親の代での没落とか小さな話はあるのですが、それらをテーマにしたいというものでも無さそうで。
取り立てて事件もありませんが、強いてあげるならツイッターでディスってきた相手とリアルで遭遇した、ということぐらいでしょうか。
それとて別に殴り合いに発展したとかいうことでもなく、ただ一言相手に言葉を発しただけで。
淡々と日常が綴られるなか、作品のテーマとして考えられるとしたら、同性愛者であるがゆえに、結婚や出産といった人並みの確たる未来像を描くことはできないのに、歳だけは確実に取っている自分を思いつめてみた夏、といったところでしょうか。
主人公自身が、同性愛は倒錯であると断じているものを、今更論じようという気にもなれませんが、昨今のLGBTブームについては、当事者ですら辟易とするところはあるのだというのは新鮮でした。
多様性とさえ言えばリベラル的に評価されるような風潮を見るに、言われてみればそういうこともあるだろうな、とは思いますが。
とはいえ性描写多すぎ。
異性愛なら官能小説でも、同性愛なら芥川賞(候補)な純文学になる、という別ルールでもあるのでしょうか。
これでは、Amazonレビューにあるように、「単に「LGBTブーム」に乗ってる」だけ、と言われても仕方ないです。
しかし、それにしても主人公、というか著者の性的なフラつきぶり。
どうにかならないものでしょうか。
同性愛者とは言え40を超えたおっさんなわけですが、「家庭に落ち着く」という選択肢がないと、こうも性的に不安定になるものか、と。
一応はパートナーが居ても、一夜の相手を求めてたまに出歩くわけですよね。
病気が怖いと言いながらも・・・。
わざわざ同性愛者への偏見を強めるような行動でも、文学の体に仕立てると評価され、タブーを破った気になれるのでしょうか。
うーん。わからない。
でも、文学ってやつはそういうものなのでしょうか?
後に評価される作品でも当時は一般大衆に糞味噌に言われたものなのだ、みたいな話になるのだろうか、と、かつての文学作品を振り返って自問してみます。
例えば『限りなく透明に近いブルー』とか『なんとなくクリスタル』をリアルタイムで経験していたら、こういう嫌悪感を持っただろうか、と。
いやー、でも、ホモのオッサンのチンポがしょっぱかったとか、そういう記述。
やっぱ無理。
うん、まあ、お腹いっぱいでした。
ていうか吐きそう。
コメント
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