林篤志『台湾少年工』読了。
終戦間近の日本で、海軍の戦闘機を作るために工廠にやってきた台湾の少年たちの物語。
著者は元道新記者。
まだ20代で、台湾への留学経験もあり、この「台湾少年工」の調査に人生をかけるべく新聞記者の仕事も辞めたのだそうです。
早々に人生のテーマを見つけられたというのは幸せですね。
あるいは彼女や奥さんが台湾人だったりしたかな?なんて気もしますが。
書名にもあるこの「少年工」という言葉。
微妙ですよね。
本書の中でも、元々「雇用」のはずだったが、戦争が激しくなるなかで「徴用」になった、という証言もあります。
なので、本来は「台湾徴用工」なのでしょう。
そうではあっても、「親の判子が無いといけなかったので判子を盗んで押印して応募した」とか、「学校の先生に翻意を促されたが、天皇陛下のお力になりたいと言って出てきた」とか、少なくとも「強制徴用」では無さそうです。
でも「徴用工」というと、韓国との間の悪いイメージがつきまとうので、そのワードは使わないようにしたのでしょうね。
本書を読めば読むほど、なぜ韓国と台湾で、こんなに違うのか、という思いが湧いてくるわけですがそれはそれ。
台湾からやってきた少年たちが、技術を要する零戦や雷電を作る工廠で働いていた一方、現金化するしないで引き続き話題となっている朝鮮からの徴用工(ではない方も多いようですが、)は軍艦島を始めとする炭鉱での肉体労働者だったりするわけですが、この差はどこから来たものなのでしょうね。
そして、そこでの扱われ方の差が、一定程度は戦後の態度の違いの一因でもあるのでしょうが、その差も、やはり本書を読む限りではわかりません。
著者の推測では、一つには台湾は旧海軍の管轄で、朝鮮は旧陸軍の管轄だったから、海軍工廠での徴用にあたり、台湾の子らが連れてこられた、とあります。
ただ、そうであるならば、陸軍工廠での朝鮮徴用工のちょっといい話的なものが聞こえてきても良さそうですが、そういう話も聞かないですね…。
強制徴用された韓国人が、炭鉱でいかに酷い扱いを受けたか、というフィクションを交えた映画はあるようですけれども。
ただ、戦後になってからの混乱期、厚木でGHQに入り込んだ台湾少年工の話などを読んで、なんとなく思ったことはあります。
彼らは戦争が終わってからは自分たちを「中華民国の台湾省の人間」としたのですね。
昔、王さんがインタビューで、「台湾人として戦後大変じゃなかったですか?」みたいなことを訊かれたとき、
「うーん。僕はほら戦勝国民だったから。あんまりそういう苦労みたいなことはなかったかなぁ。」
とあっけらかんと語っていて、そういうものかと驚いたことがありましたが、それに近いものがあります。
昭和20年8月15日には、同じ皇民として涙を流したものの、すぐにアイデンティティは戦勝国民のそれになっているのですね。
一方、韓国・朝鮮の場合は違いますからね。
少し精神構造も変わってしかるべきかと。
それが、たとえ戦時中に同じ経験をしたとしても、戦後になってそれを位置づけるのに、どこか違った語りになった側面もあるのかな、と。
続編期待です。