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小谷野敦『大相撲40年史』読了。
著者が小谷野氏なので、そこを無視して単なる相撲ファンが読んだら期待はずれになることうけあい。
逆に私は別に相撲ファンではなく、小谷野ファンとしてこの本を手にとった口です。
なんというか、そういう本です。
昔、ナンシー関という人がいて、とにかくテレビをずっと見まくってテレビに出てくる人のことを色々と書く人でした。
中山秀征と小倉智昭をよくディスっていました。
あるとき、小倉氏本人からお話がしたい、という申し出があったそうですが、ナンシーは断固拒否。
自分はテレビに出ている小倉智昭を腐すのが好きで、本人と話がしたいわけではない、というようなことを言っていたと思います。
多分に、小谷野氏にとっての相撲取り・相撲界もそういう存在なのではなかろうかな、と。
この40年の相撲の歴史を、その時代時代の政治や自身の状況と絡めながら語っているわけですが、あくまでも情報源は自身が見ていたテレビ中継の記憶や新聞・雑誌・暴露本といった出版物の類。
「本人に取材したところでは~」、みたいなところは一切ない。
唯一それに近いと言えなくもないところがあるとすれば、ご自身の父親が、北の富士と一度話したことがあるらしい、という箇所ですが、自分のことではないので当然ですが、だからどうしたということもなく、まあ、そのくらいの距離感での文章が続きます。
逆に八百長問題については、出版物に限らず裁判の調書とかも読み込んでそうな感じはありますが。
でも、それも別にジャーナリスト魂があって八百長という不正にオレが切り込まねば誰が切り込むのか、といった変な使命感があってのものとは無縁で、「公開情報を整理すると大体真相はこんなところじゃないですかねー」というある種突き放したような書きぶりが心地よいです。
ただ、これは最初からこういう態度だったわけでもないのかもしれません。
というのは、時津風部屋の弟子暴行死事件のあたりで相撲を観るのをやめようと思った、と正直なところを吐露しているからです。
その他の事象についても、本書の副題が「私のテレビ桟敷」とあるとおり、あくまでもイチ視聴者の目線で相撲をこんな感じで見てきました、ということが年ごとに淡々と書かれているのですね。
それでも小谷野節はそこかしこに見られるので、そこで楽しめる人は楽しめるし、楽しめない人は楽しめない、と。
例えば、以下の文章で、小谷野氏の人となりを思い浮かべながらプッと吹き出せる人でない限りは、この本はお勧めしません。
「~雑誌で対談をしていたが、そのころから北尾は生意気だった。」
「~どうも変なしこ名だし、「北勝海」を「ほくとうみ」と読ませるのは無理があった。しかも「ほくとう・み」であるらしい。」
「私は大乃国は同い年だから、大乃国のために義憤を感じたものだ。当時、私と同い年の有名人は、大乃国と俵万智だった。」
「~出羽海部屋の木村庄三郎が、三十二代・式守伊之助となった。なお木村庄三郎というフランス文学の翻訳家がいた。」
「高見盛はユニークなキャラで人気があり、ぎくしゃくした動きから「ロボコップ」のあだ名があったが、私は「ロボコップ」という映画を観ていなかった。」
自分は楽しめました。
総じて著者の態度としては、ガチで年6場所をこなすのは無理なのだから多少の八百長はやむを得ないかもしれないが、それで横綱になった人を尊敬するわけにもいかない。
また、日本で大相撲をやっている以上、外国人力士の数に制限はあって然るべき。
完全に自由化するなら、大相撲とは別の場を用意してそこで行うべき。
こんなところでしょうか。
語り口が『東大駒場学派物語』のそれになんとなく近いです。
しかし、あれはあれで彼にとってはそれなりに身近な人々のゴシップ本だったと思うのですが、それと同じように感じられてしまうということは、小谷野氏にとっては駒場の面々も、相当に距離を持って接していたということの現れなのかな、と。