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『足利の血脈』を読む。
7人の著者による7つの短編で、室町時代中期から喜連川藩誕生までの関東の足利氏の歴史を踏まえた小説をまとめての一冊。
著者はカバーにかかれている順番では、秋山香乃・荒山徹・川越宗一・木下昌輝・鈴木英治・早見俊・谷津矢車。
章立ての順番とは異なるので、何らの順位付けでもあるのかと思いきや、多分単なるあいうえお順でしょうね。
実は、どなたも存じ上げない方でした。
嘉吉の変の前から江戸時代に入るまでを時代に沿って扱っているので、狂言回しを一人にするわけにはいきませんが、それに近いものとして忍者の集団「さくらの一族」の頭領「千古の不二丸」という者を置いています。
世襲制なので○代目の千古の不二丸という形ですが、それぞれその代で関東の足利の血が絶えぬように色々と動き回ります。
最終的には喜連川藩の藩主として残ることで、足利の血脈は続きました、ということでめでたしめでたしのエンディング。
そうは言っても、関東公方が歴史の表舞台に出てくることは殆どないわけで、それを踏まえた歴史小説というのも難しいのですが、そこはこの「さくらの一族」の忍術は、人の心も操縦できる、という設定にしてあり、赤松満祐から松永久秀、果ては明智光秀の心も操り世を動かした、という話になっています。
つまり、足利義教も足利義輝も織田信長も、全部この「さくらの一族」の企みで死んだ、と。
まあ、小説ですからね。
目くじらは立てません。
ちなみに天海僧正も「さくらの一族」ということになっています。
正確にはその支流の「陰桜」というところの出ということになっていますが。
Amazonレビューには、後半は忍術の話ばかりでどうしてこうなった?みたいなものがありましたが、こうでもしないと話が持たない、というのはあるでしょうね。
戦国時代の関東で全国クラスの武将といっても、こう言っちゃなんですが、北条早雲と上杉謙信くらいでしょうか。
もとより題材にできそうな傑物の数も少ないですし、それらを含めても大名・小名に利用された関東の公方様、という位置づけでは公方様をメインに据えてもあんまり面白いお話にはできなかったでしょうから、それは仕方ないと思います。
それよりも自分が引っかかったのはそれとはまったく別の点です。
自分は、歴史書は好きで読むのですが、こういう「歴史小説」はあまり読まないので、よくわからないのですが、なんというか現代語というか、今の言葉をふんだんに使うのはありな手法なのでしょうか。
表現に違和感がある箇所が散見されるのです。
まずは、p.166のこの記述。
瞬時に、ゼロ秒にして「義氏!」と。
歴史小説で、「ゼロ」とか「秒」とか使うんです?
あと、p.147の記述
「お、おまえは誰だ」
不二丸は晴氏を振り返った。不二丸ではない。見たことのない顔。
多分、「晴氏は不二丸を振り返った。」の間違いだと思うし、「おまえ」とは言わないんじゃないかと・・・。
まあ、こういう気になるところは多々ありますが、総じて楽しめます。
7本の小説の後に「喜連川足利氏を訪ねて-栃木県さくら市歴史散歩」という章があって、さくら市内のゆかりの場所が紹介されています。
そこで気づいたのですが、これ、町おこしとかそういう企画ものの出版なのではないでしょうか。
この章でも、古河とか鴻巣とか、それこそ川越とかまったく訪ねてませんからね。
その代わり、小説には一切出てきていないさくら市内の喜連川藩主の菩提寺とかは写真つきだったりしますから・・・。
いや、喜連川藩とは関係ないから、と言われればそうなのですが、なんとなく露骨にさくら市内の場所ばかり取り上げているし・・・。
と思ったら本の最後に「企画協力 操觚の会・栃木県さくら市」とあってやっぱりな、と。
これくらい思い切った脚色がないと持たないレベルの地味な関東の足利氏の歴史を大掴みで学べる良い教材となる一冊。
ディスってますけど勉強になりました。
コメント
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