若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』を読む。
いやなんとなく、タイトルの文字の並びが「伽藍とバザール」みたいな感じがして。
でも、それより長いし、ちゃんと比較対象はどちらも犬だから、それとは違うんだけど。
ていうかよくよく読めば別に抽象度の高い単語ではないので、そんなはずはなかったんだけど。
面白そうだったので手にとりました。
これ、単行本は2017年に出ていたんですね。
その時点ではキューバ旅行記のみで、タイトルはキューバで見かけた野犬と表参道でセレブに飼われている犬を対比したところから。
『(漢字)の(カタカナ)犬と(カタカナ)(漢字)の(漢字)犬』という並びはバランスが良いですね。
この文庫版では、そのキューバ編に、モンゴル編・アイスランド編が追加されています。
純粋に旅行記としても、思わずキューバにもモンゴルにもアイスランドにも行ってみたくなるレベルの面白さで、見た風景を自分で切り取った言葉で書けるのは文才なのでしょう。
いやー、天は何物も与えましたね。
それでいて嫌味もない読みやすさがあるのは、常に東京との対比で語られているから。
プロの旅人の旅行記あるあるですが、「ここAAの街角でよく見かけるBBだが、以前訪れたCCのDDを思わせる」みたいな事書かれていても、知らねーよ、としか言えないですからね。
その点、この本で著者が見た風景は、生まれも育ちも東京で、ほとんどそこから出ずに大人になった著者自身の風景との比較で語られており、読み手が混乱することが皆無。
そして、この本は旅行記としての側面もあるものの、著者の関心はというと、自分が日本・東京で感じていた生きづらさだったり息苦しさだったり、そういったものの背景を、旅行を通して外側から考えてみることだったりする。
著者は「新自由主義」と繰り返しているが、すべてをそこに帰着させる妥当性はともかく、下部構造が上部構造を、とか言って革命が必要だ、みたいな方向に行かないだけ健全というか、そのあたりのバランス感覚は芸人ならではなのかな。
結局のところ、すべてを個人の生き方やコミュニケーション能力()の問題にするのも、すべてを自分の外側の社会のせいにするのも、いずれもそれだけではやり辛さは解消されません。
その間のどこか納得できる場所を見つけないとならないのですが、それだって自分でやる作業です。
著者がたどり着いた境地、「いやー、人生やりづらいことばかりだったけど、俺自身のせいってわけでもなさそうだよね。そう、新自由主義ってやつだよ、正体は。でもこれからの俺は濃密な個人との血の通った関係性の中で生きてやるぜ」
くらいの落とし所は、日々を乗り切るのにちょうどよい。