『YouTube作家的思考』を読む。
長崎周成・白武ときお・谷田彰吾・山口トンボ・カツオの手によるオムニバス本。
申し訳ありません。
誰一人存じ上げませんでした・・・。
2020年の今年になってから、タレントのYouTubeチャンネルを目にすることが多くなったように感じていました。
でも、YouTubeの場合、自分の好みとか視聴履歴からリストでおすすめされる動画も変わってくるので、自分がそういうチャンネルを見るようになったから、という可能性もあるな、とあまり気にもしていませんでした。
しかし、本書を読んで、一概に気のせいばかりとも言えなかったのだな、と感じたのと同時に、それらタレントのYouTubeチャンネルというのも、結構少数の「YouTube作家」の手によるものだったということで、まだまだこの世界は黎明期だ、との感を強くする。
書名の『YouTube作家的思考』の「YouTube作家」は、テレビやラジオの「放送作家」に相当するものを意味しているのだろうし、また出てくる「作家」たちもまた、テレビ・ラジオの仕事も持っていたり、当人たちは特に意識すること無く(というと語弊がありますが、どちらが上というのではなく、単に種類が違うものとして)、YouTubeの仕事をこなしている。
そういうフットワークの軽さがあるからこそ、今このタイミングでYouTubeの波に乗れたのだ、という言い方もできるし、出てくる面々はいずれも若い。
自身をもう歳だと自覚している谷田彰吾やカツオという作家さんでさえ40歳そこそこ。
そういった世代のテレビ観も面白い。
一様に、テレビも別に終わったメディアじゃないし、YouTubeはメディアの一つで、テレビにはテレビの面白さがあって、というようなことを言っている。
多分に80年代や90年代くらいまでのテレビ局のお金の使い方を知り、その中でメインに仕事をしてきた世代ではないというのもあろう。
つまり、その世代の資金規模で企画を作り番組をまわしてきたような世代の作家は、この本には載っていないし、YouTubeには進出してきていないということになる。
以前、昼に麻布十番の蕎麦屋に入ったとき(有名なところではありません)、そこに身なりのあまりよろしくない、というかスポーツ帰りみたいな服装の中年男性の集団が先客でいました。
色あせたスウェットとかジャージだったりで、最初見たときは、地元の青年会とかの集まりとか、その手のグループで草野球とかをやった帰りで、昼飯でも食ってくか、みたいなノリで蕎麦屋に来たのかな?と思いました。
しかし、店内で大声で話しているので自然と漏れてきた会話から伺い知るに、彼らはどうもテレビの制作会社の人で、大方近くでロケがあった帰りとか、昼でちょっと撮影を中断しているとか、そういうことのようでした。
近くにはテレ朝もありますので、その下請けの人たちだったかもしれません。
で、店の中にいる間、ずっとテレビ業界の話をしているわけですが、まあすべてにおいて「昔はよかったなぁ」になってましたね。
「今じゃ考えられないけどさ」とか「そんとき寛平ちゃんがさ」とか言う昔話を永遠。
この人たちには、YouTubeチャンネルを立ち上げるとか、そのチャンネルのプロデューサーになるとか、そういう発想は、出てこないんだろうなぁ、と。
彼らにとってのテレビは終わってしまったもので、もう帰ってこない日々を思い出してはお互いに慰め合うだけ。
残当。