本郷和人『天下人の軍事革新』読了。
本郷先生の歴史うんちく本で、テーマは「軍事」。
とはいえ、兵器とか布陣とかの軍事オタクの人が喜びそうなものではなく、兵站とか軍制などが中心の地味な?お話です。
戦国時代も後期になり、数十万の兵士を全国に繰り出すことが可能になった背景が解説されています。
言われてみれば確かにそうですね、みたいな話が続きますが、こういうことをきちんと新書レベルの書籍に落とし込めるのは本郷先生ならではなのでしょう。
「信長の野望」をプレイしていると、複数の国持大名になると自動的に数万の軍を率いることができるようになっていたりしますが、そのレベルの運用ができたのは本当に限られた戦国大名なのですね。
本書では信長・秀吉・家康とそれぞれに一章ずつを割き、その特色・革新性などを解説していますが、ページ数的には信長>秀吉>家康の順。
兵農分離を始めとして革新性の塊みたいな信長の運用の解説が多くなるのは当然です。
で、それを突き詰めた秀吉、という位置づけでの秀吉の章もわかります。
ですが、その後家康で一章書くのに少し苦労されたような節も…。
武田には負け続けた家康ですし、その軍備の優れた面を書く、というのも難しいというところはあるでしょうが、信玄・勝頼に領地を削り取られていた頃は子作りが進んでいない、とか、三河武士の結束は最初から強かったわけではない、とか、本書のあるべきテーマからするととっ散らかったような項目も。
まあ、それでも最後に天下を取ったのは家康なわけで、それを除いて本にするわけにもいかない以上、なんとかエピソードをかき集めて書いたのでしょう。
本郷先生も書きながらパッとしないエピソードが多いのが気になったのか、「面白みのない人だなあ。」とボヤいています。
そんなとっ散らかった中でも一番おもしろかったのが酒井忠次と家康の関係についての項です。
四天王の中では石高が少ない、という事実の指摘に始まり、実は家康は忠次を嫌っていたのではなかろうか、と。
原因として信康・築山殿を死なせることになったのは、忠次が信長に申し開きをしてくれなかったからだ、という推測になるほど、と。
そのあたりの二人の関係性を、大河で大森南朋さんがどのように演じるのか見ものですね。
もっと気になるのは石川数正の出奔ですが、そこは本書では秀吉の誘いに乗っただけだろう、とあまり深入りはせず。
他の大名家でもこのレベルの家臣の引き抜きが何例かあるので、ということのようです。
軍事オタクでない人にこそオススメの戦国本です。