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藤原正彦『国家と教養』読了。
欧米諸国をまわってみて、改めて日本を見たらちょっと将来が心配です、というご老人からの啓発本。
これからの日本人に必要なのはこれだ、というものをいくつか挙げています。
それは戦争を止められなかった旧制高校の教養主義とも違うし、その残滓として戦後も残っていた文化とも違うことを、自身の経験から語っているのですが、それらを通じて、逆説的に日本における教養とはどういうものだったのかが浮かび上がってくる仕掛けになっています。
ドイツの教養主義を成り立ちから説き、それが大衆から乖離しナチズムの台頭を許したところまでを丹念に説明した上で、そういう教養じゃ駄目だと言うのも、
論理バカじゃなくてイギリスのようにユーモアを持ち合わせないと、と言うのも、
そして、そういった諸々を切って捨て、実利的なものを良しとするアメリカ的な価値観も嫌だと言うのも、すべて大掛かりな伏線で、
日本で教養とされたものは、戦争に勝つ知恵も、避ける知恵も、バブル後の経済的な蹂躙を防ぐ手立てにもなりませんでした、との著者の主張につながっています。
ただ、それらの「敗戦」が、その教養とされたものの性質の問題なのか、それを実践に移す者がいなかった、あるいは少なかったことが問題なのか、が議論として峻別されていません。
無論、これからの日本人に必要なものを指し示すのが著者の目的なので、民主主義なのでみんなでこれらを学びましょう、で論は閉じるのですが、なんとなく消化不良の感はあります。
ただ、反省とか総括とかいうことをまったくしないか、言い過ぎるかで70年あるいは30年経ってしまい、また戦争が始まってしまいました。
そもそも数学者の著者にそこまで求めるのも酷な話です。

