平戸萌『私が鳥のときは』読了。
表題作とその続編というか前日譚みたいな描き下ろしの2作。
いずれも中学生が主人公です。
氷室冴子青春文学賞の大賞作とのことですが、それもうなずけます。
最近の中学生はこんなに無垢だろうか、なんてことを思ったりもしますが、登場人物の年齢を鑑みるに一応二作目の「アイムアハッピー・フォーエバー」は表題作である「私が鳥のときは」の17年前の設定なので、最近の話じゃないですよ、なんていう逃げはできます。
いや、17年前だって十分最近じゃないか、と思ったりしますが…。
ただ、子どもたちが持っているのは携帯で、まだスマホは登場していませんからね。
スマホ以前と以後では中学生といえども生活は一変したのだ、という言い方はできます。
表題作で主人公である蒼子の生活を引っ掻き回すバナミさんが、二作目の主人公という仕掛けです。
表題作でのバナミさんは、15歳のときに子どもを産み高校へも行かずに子育て。
高校受験を控える主人公とバナミさんの子ども(男子)が同級生という設定。
なのでその時点では30歳です。
家族はいるものの、主人公の母以外に心を許せる人もなく孤独だった様が描かれています。
主人公たちとの交流を通して、失われた15年というか送りたかった青春をつかの間取り戻したところでエンディングです。
行動や発言からすると、少しばかりADHDの気もあるような感じですが、だとしても15で子どもを産んだこと以外にどんな背景で今に至ったのか想像力を掻き立てられる終わり方でした。
そんなことを考えていたところで続く二作目。
主人公がそのバナミさんでしかも中1なのですね。
悩みらしい悩みといえば部活動の方針だったり、幼馴染との付き合い方だったり、とその程度のものです。
箸が転がるだけで仲間たちと笑い転げているかのような様も、底抜けに明るいようでいて、読者はすでにその先の彼女の人生を少しばかり知った上で読まされるので、なんとも言えないものを背負わされます。
本作のさらなる続編が書かれるのかどうかわかりませんが、光井くんというのがバナミの相手になるのでしょう。
子どもができたら、相手は夜逃げしたみたいに転校していった、という表題作での告白も残酷です。
中1のバナミは、夏休みの宿題に追われているし、まだ恋愛もしていないし、当然に自分の死は考えていないどころか、友と50年先の友情を誓い合ったりしています。
すでに両親は亡く、数年前に幼馴染の姉を亡くしていたりと、身近に死はあったものの自分のそれは意識していません。
当たり前ですけれども。
ある人の人生の終わりを描いた作品の後に、その人の青春時代についての作品が続くという。
こういう読ませ方があったのか、と唸らされました。
中2中3のバナミについての物語を読みたいような読みたくないような。
そんなことを考えさせられた一冊。