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主役の生田斗真くんが演じるのは水道局の職員。
取水制限が発生するほど日照りが続く猛暑の中、水道料金の未払いが続く家庭を訪問しては停水を行うのが仕事です。
原作ではどうなのかわかりませんが、本作では舞台が前橋市の水道局という設定になっていて、群馬だけにこの「渇水」ぶりも異様にキツい感じなんですよね。
海なし県つらい…。
熊谷とか前橋とかは真夏の最高気温のニュースで必ず取り上げられる都市ですが、海がないともうそれだけで絶望的な思いに襲われますよね。
同じ気温だったとしても江ノ島のそれとは気分が違う。
そんな雨の降らない日が続く真夏に、淡々と滞納家庭の水を停めていくことが求められる水道局の職員。
中には心を病み、停水の業務から外される者も。
最近亡くなった原発稼働に反対していたミュージシャンが以前「たかが電気」と言って炎上していましたが、たしかに電気はなくても暮らせます。
でも、水が無ければ人間はすぐ死に直面するわけで、真面目に考えてしまうと停水を行う業務というのは精神的にキツいものがあります。
実際には停水に訪れる先の家庭も、エアコンは回っていたりスマホは使えていたりと、未払いが続いているのは単に支払いの優先順位の問題でしかないことは描かれます。
それでも日々人間の嫌な面を見る仕事であることには変わりませんね。
物語は、主人公が訪問先で出会った母子家庭のネグレクトされている姉妹の子らとの交流を通して、別居中の自身の子どもとの関係も見つめ直し、最後に「テロ」を起こしたことで街の日照りも解消し、一応良い方向に進みそうな匂わせでエンディングを迎えます。
母子家庭の姉妹が、行きたがったのは市民プール、時間を潰すのは近所の川、いなくなった父は元船乗り、主人公が別居中の子どもに提案するのは海への旅行、とどこまでも水がついて回ります。
それに、母子家庭のその母(門脇麦)はどうやら水商売崩れですね。
門脇さんの、とことんまで自分語りしかできない母親の演技も真に迫っていて、本当にこの人は母親経験は無いのだろうかと。
いや、まあネグレクトする親の経験なんか要りませんが…。
生田くんは「テロ」を起こす際、姉妹に「流れを変えたい」と言葉をかけていて、実際雨が降るという事象で以てそのフラグを回収します。
安直といえば安直なのですが、そんな結末もいいもんだなと思いました。
というのも、アマゾンレビューによると原作では姉妹が自殺を図るというエンディングなのだそうですね。
なので、原作と本作とを併せ、救いのあるこの結末を評価する声もある模様。
また、本作では生田くんの同僚として磯村勇斗くんが出演しているのですが、『PLAN75』同様になんとなく優秀な(準)公務員的な演技が秀逸。
昭和の頃であれば、物語に登場する公務員の描写としては、杓子定規で器の小さい小役人的なものが多かったと思うのです。
ですが、ゆとりさとり世代の公務員となると、自分の能力を早々に見切った上で、手堅く公務員の職を選んだ勝ち組的な位置づけになるのですね。
仕事内容にはそこそこ悩みながらも、特段正義感からその地位を投げ出すとかいったバカなことは露にも考えない、何でも卒なくこなせるそこそこ優秀な公僕という役を自然に演じています。
半ばは計画的に?できちゃった結婚を受け入れる様も、らしい展開。
とはいえ夏に見ると息が詰まりそうな作品。