河村有希絵『思考の質を高める 構造を読み解く力』読了。
帯にもあるとおり、著者は「東大・MBA・コンサル」ということですが、その経歴の後、教育学部に学士入学したという方です。
その間に結婚・出産も経ているようです。
しかも、慶應女子からわざわざ東大へ進学するなど、優秀なだけでなくかなり意志も強い方なのでしょう。
ご自身の原体験から「構造学習」というものにのめり込み、それを掘り下げてみたいと再度学部生に戻り教育学を学ぶ道を選んだそうです。
ご自身がビジネスの現場でも役に立ったことの原点は小学生のときに受けた授業だから、というわけです。
昔、駒場で佐藤俊樹先生の「組織理論」の講義を受けた際、始めの授業で先生から言われたのは、「論文を論理的に読めている学生はほとんどいない」ということでした。
なので、この授業では論文を論理的に読んでいくことで、そのトレーニングを積みましょうね、と。
確か先生が東工大から転任してきた最初の年のお話だったので、一応その「学生」を指すのは東工大の学生だったでしょうが、まあ、先生から見たら別にどこの学生だって大差なかったことでしょう。
ゼミでは学生を論破し再起不能レベルに陥らせてしまい、それ以来手加減するようになったらしいという噂も混みでの就任でした。
そんな触れ込みの授業で、毎回まず誰かしらが担当の論文を読み解いたプレゼンをして、みんなで議論をした後、最後に先生が解説をする、という半期の楽しい講義でした。
「出口の現代文」とかの、より高尚なバージョンといった風情で、あれよりももっと構造的な理解を求められていたでしょうか。
題材が論文なので、随筆か何かを切り抜いた受験問題を解説する現代文講義とは違って当然なのですが。
たまにニヤニヤしながら「宮台さんの話はここに穴があるの。」とか「ま、アメリカで学位を取るとこういう論文を書きがちだよね」とか語る姿がカッコよかったですね。
もう四半世紀以上前の話になるのですが、一番の思い出は、日本がサッカーのワールドカップへの初出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」の翌日の講義の日。
担当の学生が「スミマセン。昨日サッカー見てて殆ど寝てないんで頭が回ってません。」と始めたら、「みんなそうだから心配しないで。」と笑っていました。
始めてのワールドカップ出場ということで、一般人にもそれくらい熱気のあった時代でしたよね。
先生は、「Jリーグが始まったことで日本人の南米の人に対する目線が変わったよね。」みたいな話もしてましたが、ああいう時代の空気感をさっと切り取るのがうまい人でした。
話がズレました。
著者の「構造学習」の話でした。
本書に関して言うと、対象とする読者として、実際にトレーニングを積ませたい小中学生なのか、その保護者なのか、それともビジネスパーソンなのか、いまいち絞りきらずに書き進めてしまったような感があります。
ディスカヴァー・トゥエンティワンの出版物なので、基本は意識高い系のビジネスパーソン向けなのでしょうが、その割には題材が「走れメロス」だったり「ごんぎつね」だったりして、いや、別にそれが適切でないとかそういうわけではないのですが、どうしてこんなことになったのだろうと。
そんなもやもやがあったのですが、あとがきを読んで納得しました。
本書は、著者が卒論を書く片手間に仕上げたものとのことでした。
卒論は教育学部のそれなので、教育に関してのものだったでしょうが、それを流用したところが結構あって、それでこういう内容になったのでしょう。
そんな著者ですが、その後、修論・博論を経て研究者になったというわけでもなく、再びビジネスマン向けのコンサルに戻ったようです。
教育界で「オレの教育法」を啓蒙しようとしたけれどもうまくいかず、私塾を作って子どもたち相手に「実践」する経営者兼講師みたいな人は、どこの地方にも一定数いるものですが、著者の場合はそっちではなく、ビジネスマン相手になるのですね。
単価に限界が出てくる子ども向けの商売よりも、企業の研修とかを当てにしたビジネスのほうが稼ぎは良いでしょうから賢明な判断と思います。
ただ、本当は子どものうちに学ばせたい内容ですよね。