映画『おじいちゃん、死んじゃったって。』視聴。
岸井ゆきのの視点で父方のおじいちゃんが死んでから葬儀が終わるまでを綴ったお話です。
伊丹十三監督の『お葬式』の現代版みたいな感じですね。
田舎の自宅で執り行われる葬儀というのも、今後は珍しくなっていくのでしょう。
映画という形であっても、本作で記録に残るわけで、後年良い資料になりそうです。
多分、この下の代になると、もう自宅での葬儀どころか、葬儀自体が庶民の生活からだんだんと消えていくのではという気もします。
コロナはそれを後押ししましたね。
自分もここ数年は、よほどの関係の強い人でない限り、通夜・葬儀には参列していません。
そもそも「身内だけで執り行う」的な言葉で、初めからお断りされるケースもありますね。
で、身内だけであっても、本当にどこまでやっているのかはわからないわけで。
家業があるわけでもなく、それこそ正規で勤めている先もなく、近所付き合いも薄い、都市生活者としての庶民。
そもそも亡くなる人が高齢で長年施設にいた、なんていうケースなら本人の知り合いも少なくなっているでしょうし、葬儀なんてもう本当に形ばかりになっていくのではないでしょうか。
本作では、なんだかんだ揉めながらも、親戚一同が顔を合わせて葬式から焼き場まで付き合っています。
まだ、なんとか風習が残っているのですね。
奥さんに逃げられた喪主の長男、早期退職を迫られた次男、東京に出て成功したが独身の長女と立場はそれぞれ異なります。
東京に出た者と地元に残った者、実家を継いだ者と継がなかった者、金銭的な成功をつかんだ者とつかめなかった者、兄弟でありながらもう共有するものが殆どない兄弟(妹)です。
普段なら起きない衝突が起きるのも、遺体を前にして一緒に時を過ごしているからですね。
それを諫めるのが認知症のおばあちゃんなのが悲しいですが。
主人公の岸井ゆきのは、それすらも一歩引いた目線で見ていて、祖父の死を自分の生、というか性と絡めて理解をしようとしています。
旅行会社に勤めているという設定もあって、インドに思いを馳せながら思索を続けるのですが、輪廻転生とか深いことを探ろうとしているわけではありません。
エンディングでは、実際にインドに旅に出ますが、彼女の得られた知見は「死体がゴロゴロ転がっているわけではない」というだけです。
だから何なんだ、と言われればそのとおりです。
でも、インドだって昔とは違うのだから、日本の風習だって変わっていくのは自然じゃないか、と肯定的なメッセージを、最後の彼女の笑顔で感じ取りました。
でもですね。本作は葬儀の終わりで一区切り付けているし、テーマがそこなのであれなんですけど。
この後、相続もあるんですよね…。
被相続人の妻は認知症だし、長男・次男は金に苦労しているし、長女は東京で暮らしているし。
結構心配ではあります。
まあ、資産はというと実家の土地・家屋と田んぼくらいかな、というところです。
相続人は4人いるので、税金は問題なさそうですなのですが。
長女水野美紀はさっさと相続放棄しそうですが、長男・次男が…。
現金の残高によっては、かなり揉めそう…。
あと、ストーリーの大きな流れとは別に、ところどころにネタが仕込んであってそれだけでも十分楽しめます。
スーパーミリオンヘアー絡みのネタでは、声を出して笑ってしまいました。
U-NEXTでも観られます。