Amazonプライム・ビデオで映画『ラストレター』視聴。
豊川悦司と中山美穂をくたびれた中年役で出演させておいてタイトルが「ラストレター」。
もうこれだけで優勝。
広瀬すずと森七菜が二役でそれがまたそれぞれ見事でこれも優勝。
ちょうど四半世紀くらいの時差のある過去パートと現在パートでの二役ですが、その行き来も映像として自然で、一度も見間違いをしませんでした。
というか、あえてそういう誤解を抱かせる展開もないので、騙された感もありません。
過去パートでは姉妹、現在パートではその姉妹の娘同士なのでいとこということになります。
観客の我々は見間違いませんが、現在パートの福山雅治は二人を見かけて、そのそっくりぶりに声をかける、という終盤です。
そっくりっていうか、二役ですしね。
森が成長して松になるのか、というのは置いておくとして。
どちらのシーンでも、監督が二人を、きれいにきれいに撮ったなー、という感想が漏れます。
この四半世紀で起きた大きな変化はと言えば、男女間でのやり取りも、手紙ではなくメール・SNSが主となったことですね。
手紙ゆえのありがちな不着・未着・誤配も、本作ではオンパレード。
それを現在パートでも用いるために、松たか子は旦那にスマホを水没させられるわけですけれども。
少し強引な進行ではありますが、それを機に、現在パートでも手紙のやりとりが始まります。
松は姉に、広瀬は母になりすますことで、福山=神木隆之介と広瀬(二役)の関係を、読者に探らせる展開。
福山はなりすましを最初からわかっていた、という設定なので、ある程度違和感を回収できていますが、そうであってもおかしな点はいくらもあります。
ただ、アマゾンレビューでも指摘している方がいましたが、松たか子が姉の同窓会に赴いた際、「姉の死を知らせるために行ったはずなのに姉に間違われてスピーチまでする羽目になってしまった」というのは彼女の嘘ですね。
服装しかり、初めからなりすます気満々でしたよね。
メッセンジャーを頼まれながら、手紙を届けなかったことで姉=広瀬と福山=神木との恋仲を邪魔していた松=森です。
けれども、現代パートでは福山に対し、あなたが姉と結婚してくれていたなら、なんてことを言えてしまうわけです。
それくらい、四半世紀という時を経て、松はそれらを過去としている一方、今もなおそれを引きずったままの福山という対比です。
福山はそこにさらに広瀬の死も知らされるわけで、さらに深みに落とされます。
でも、その足で広瀬の元夫である豊川に会いに行くあたりが転機ですね。
豊川からは、その視野の狭窄さを責められるなどするわけですが、なかでも、もう一人称で小説なんか書くなよ、というのが響きました。
ま、普通に考えたら数十年前の恋を引きずって、小説を一本書いただけの予備校講師って、イタいです。
少し違いますが失礼ながら柴田翔さんを思い浮かべました。
そんな当たり前のことにも気づけないくらいに、視野が狭まっていたということでしょう。
神木くんと広瀬すずの共同作業で仕上げた卒業式での挨拶では、自分たちには無限の可能性があると言わせている一方、将来には夢を叶えた人も、叶えきれなかった人もいるだろうことにも触れています。
ただ、それを書いた時点では、その叶えきれなかった人の事情にまでは思いは至っていなかったのでしょう。
言葉が上滑りしています。なんとなく薄いというか青いというか。
でもそんな上滑ったはずの言葉が、四半世紀の後、一方では自身が死んだ後に娘に振り返られ、他方では過去を引きずったままだった書き手に戻り、息吹を吹き込まれます。
誰も好き好んで心を病み自死を選ぶ人生を望んだわけでもなく、むしろ残酷な言葉となりました。
でも、それもまた、数ある現実の一つとして客観視できた作品に残せるかどうかが、作家乙坂鏡史郎(福山)の今後の鍵なのかもしれません。
U-NEXT、Hulu、dTVでも観られます。