渡邊大門『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』読了。
タイトル通り、倭寇・人身売買・奴隷についての本。
室町後期から江戸時代が始まる辺りまでの日本裏面史で、小説でも大河でも積極的には描かれることがないであろう部分を纏めてみました感が凄い。
著者の経歴を見ると、文学部で博士課程まで修了した後に、今は「株式会社歴史と文化の研究所」という、多分ご自身で立ち上げた法人でしょうけれども、そこの代取とのこと。
こういう場合、印税は法人で受け取るのでしょうか。
でも、著者名は個人の名前になっているからそういうわけにはいかないのかな。
そういえば、角盈男さんはヤクルトのコーチをやったとき、報酬は事務所で受け取る形にしていた、とデーブ大久保のYouTubeで話していました。
「そういう契約にしたから。」
という話でしたけど、本の印税もそういう形にできたら結構自由度は増すんじゃないかなー、なんて。
まったく話がズレました。
戦国日本史の話でした。
テーマは多岐にわたるものの、人身売買についての章が多いですね。
人間を売買することの悲しさは当たり前ですが、終盤には自分で自分を売る、みたいな話まで出てきて、そのあたりまで来ると滑稽さが出てきます。
自分で自分を売ったら、それは住み込みの労働者とどこが違うのか、みたいなところもありますし、売ったのだから奴隷としての扱いを受けることを甘受する、というのであれば、契約内容の遵守とか履行とか、もう立派に近代の自立した個人に近いんじゃないか、みたいな。
実際にはそんな高尚な話ではなく、自分で自分を売るのは、だいたいどこかで逃げ出すのを前提にしていることが多く、買う側もそれは半ばわかっているので、二束三文だった、なんていうのを聞くと、笑いますけれども。
あと、普通の日本人としてだと海外渡航は出来ないが、日本人奴隷としてなら海外に行けるから自分を売った、となるとそれは単なる亡命者か?みたいな。
また、後半では秀吉の朝鮮出兵とその際に日本に拉致されてきた朝鮮人の逸話をいくつか紹介しています。
西日本各地での陶磁器の発祥に多く寄与しているだけでなく、普通に日本で武士として登用されているケースもあるのですね。
日本人の家に婿に入りそこの姓を名乗って後を継ぐ、なんてのは今でも在日の方が帰化する場合によく聞く話ですが、当時から割とあったケースなのですね。
今日では完全に同化が進んでいるのでしょうけれども。
そのせいか、久しぶりに京都・大阪の街に降り立ったりすると、なんというか一瞬目線が下がるというか、そういう感覚に襲われることがありますね。
道行く人の平均身長が、東京に比べると数センチ低い感じがあるのです。
半島系の血との融合がかなり進んでいるからではないでしょうか。
いや、これは単に自分の仮説でしかありませんが。
いくら戦国好きであっても、拉致とか奴隷とか人身売買の研究書とかを、好き好んで読むことは無さそうです。
でも、最低限そういうことが事実としてあったのだ、ということは知っておいたほうが良いでしょうし、そのために適切な一冊。