羽田圭介『ファントム』読了。
「文學界」の2021年5月号に掲載された作品だそうですが、コロナ前の世界です。
もしかしたらコロナのなかった平行世界の今なのかもしれないですが。
「不景気の株高」、「中銀による輪転機グルグル」を示唆するような表現もあり、そこだけはコロナ後なのかなという気もします。
いや、金融緩和は今に始まった話ではなかったですね。
コロナがどういう形で収束するのか。
まだまだ先が見通せない中では、それを今を切り取るタイプの作品の中に落とし込むのは難しいということでしょう。
それにしても、今後数年こんな状態が続くのであれば、文学作品の中の平行世界もどうなるのか、というのはあります。
主人公はインカムゲインだけでの生活を目指してせっせと米国株投資をする工場勤務の30代女子。
ヤマザキナビスコの工場という設定でしょうか。
ナビスコとは資本関係はないとか、モンデリーズとのライセンスが切れたとか、そういったあたりは捨象されていますが、日本の末端の工場勤務の女子が米国上場の親会社の株も保有している、という面白い設定にしてストーリーに奥行きをもたらしています。
しょっちゅうリストラが発生し、年々、会社の福利厚生が絞られる中、労働者としての主人公はそれらに苦しめられる一方、それが本社の株価の下支え要因にもなっており、そこからの配当金に期待をしている投資家としての主人公もいる、というねじれ現象。
この面白さをもたらす背景として、そもそも主人公がキャピタルゲインでなくインカムゲインを主にしたい、というところから、投資先も日本株でなく米株であるあたりが、きちんとトレンドを押さえているなというさすがの羽田圭介。
伊達に「週刊SPA!」で連載持ってないぞ、と。
これが一攫千金を夢見てFXに手を出しましたとか、ビットコインを積み立ててますとかだと、一気に現実味がなくなるところでしたね。
いや、それらも含めての怪しさが「SPA!」なんでしょうけどね。実際は。
とはいえ配当狙いの株だけでなく、成長株にも手を出しているのは、目標としているのが資産5000万であるところ、さすがに今の工場勤務のアガリからの資金投入ではいつになったらそれが達成されるかわからないからですね。
ちなみに、なぜ目標が5000万なのかというと、タネ銭がその額になればその配当5%が250万で自身の年収と同じだから、という主人公による説明があります。
でも、今のペースで行くと、そこに到達するころの自分の年齢は、、、。
という疑問を持ちはじめていたところに、主人公が証券会社のセミナーに参加し、そこでリタイアしているのに貧乏くさい爺さんたちに囲まれながら、資産が1億を超えてもこんな生活か、と少し自分の道に迷う描写があります。
(その爺さんたちのうちの一人が履いているダンロップのスニーカーをひたすらディスっているのですが、さすがにダンロップに失礼・・・。)
そういえば以前ツイッターで、バリュー投資家が集まって居酒屋で水で乾杯をしているという、周囲ドン引きの画像が上がったことがありました。
でも、周りがいくら揶揄してもぶれずにケチるのがバリュー道。
だから、当人たちは何で炎上したのかもわかってないと思いますよ。
とはいえ、こういう生活に何らの疑問も持たない人だけがたどり着くことのできる道、ということで投資法にも向き不向きはありますよね。(小並感
それはさておき、このあたりで主人公も読者の我々も気づくのですが、彼女のこの活動はFIREを目指すそれではないのですね。
うまく事が運び、FI(経済的自由)にはなっても、RE(早期リタイア)にはならないので。
配当収入での生活を目指しても、つぎ込める額が少ないと、それを達成するのは老後になってしまうという悩ましさ。
でも、この主人公は元地下アイドルで、20代のころは外見で損をしたことはないレベルの容姿という設定。
中盤以降、肌の衰えも隠せるコスプレイヤーとしての活動で違う道を模索するようになり、最後は、うまく行けばマネタイズもできるかも、という含みをもたせたエンディングです。
お金より人とのつながり、シンライが大事、とかいう意識高い系の交際相手との対比が顕になってから、この価値観の違いが終盤に事件を引き起こしますが、かなり終盤なので、読み進めながらこんな残りわずかなページ数でまとめられるのか、という気がしたのですが、あっさりと片付きました。
読み終えた後は、もしかしたら著者はもとからそんな特別な事件として書くことは考えていなかったのかもな、と。
巷のオンラインサロンから派生したよくある宗教じみた活動については、深く描写するより、昔もこういうのあったよねー、みたいな軽い触れ方のほうが、より侮蔑感を与えられるというか、そういう著者なりの見解の現れかと。
コメント
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