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小熊英二『生きて帰ってきた男』のレビューです。
小熊先生の本。
相変わらず長い。
結局、読破には一週間近くかかったように思います。
更にそれらが腹に落ちてくるまでには、それ以上の時が必要で。
このレビューを書き終えるまでに数年の時が経ってしまいました。
すでに死んだ自分の祖父の人生も、小熊先生の父「謙二」と似たところがあって、親近感とともに、引き込まれながら読み進めることができました。
(それでも時間がかかるのは分厚いから。)
当人の語りの引用の前後に、当時の社会状況を俯瞰するような記述がこれでもかと挿入されており、(だから分厚い本になるのですが・・・、)読み手の歴史理解の幅を広げたり、「謙二」の行動・選択の妥当性を判断させるのに役立っていますが、それを通して自分の祖父の人生にも思いをはせることができたという点で、自分には二度おいしい本でした。
で、読み進めながら思うわけです。
同じようにシベリア抑留の経験を持ち、同じように着の身着のままで本土に戻ってきて、それでもそこから先の人生、違うところはあるものだ、と。
いや、そんなことを言うと当人たちからは、同じように抑留施設で生活をし役務についているだけでも、生きる奴、死ぬ奴の違いは出てくるものだ、と返されそうです。
私の祖父は、戦前は神保町で曽祖父とともに出版社を経営していましたが、戦時統制で紙が手に入らなくなり、開店休業状態だったところに赤紙で北支戦線へ赴きました。
その後、対ソ戦準備で部隊ごと満州に転じ、ソ連軍の猛攻撃を受け始めたあたりで終戦。そのまま捕虜としてシベリアに入り数年。
日本に帰ってきたら、空襲で自分たちの家が無くなっていただけでなく、その土地にも貸家にしていた土地にも、他人の家が建っており・・・。
しかしそれらを取り返す努力をするでもなく、会社を再興するでもなく、世を拗ねながらいくつかの会社のサラリーマンを転々とし、還暦を迎えるころには東京の奥地に家と墓を買い、さっさと隠居生活。
子どもや孫に何かに頑張る姿勢を見せることは無かったし、世を疎む生き方が変わることも無かったのです。
本書にも何度となく書かれてあるとおり、シベリア抑留組の人にとっての戦後とは、8月15日の横一線のゼロから始まったものではなく、そのスタートの号砲が鳴ってからほかの大多数の人々が何周か走り終わったのちに、ようやくスタートラインに立たせてもらえたという類のものでしょう。
それも手持ち資金ゼロで。
戦後のどさくさを言うほどの混沌は収まりつつあり、それでも未来に希望を抱けるほどの生活基盤の見込みは無く。
なぜ自分たちだけがこんな目に・・・。
わが祖父はその喪失感を克服することなく死んでいきました。
自分の中でうまく切り替える術というか、何かを抱えながらもそれはそれで脇に置きながら日々の生活に対処するとか、そういう器用なことが出来ない人だったように思います。
そしてその手の心の性向は、ある程度自分にも受け継がれていると感じることも。
そんな祖父ですが、心の内を吐露したことが一度だけありました。
私が大学に合格した際のことです。
「人生な、頑張れば頑張っただけのことがあることもある。
でもな、俺は頑張らなかった。
頑張れなかったんだよ。
だけどお前は頑張った。
よくやった。」
祖父が頑張れなかった訳を、今は何となくわかります。
自分の意志や選択ではどうにもならなかったことに振り回された人生。
でも、少しは頑張ってみるべきじゃなかったのか、とも思います。
祖母のためにも。
祖母は常々言っていました。
「私はねぇ。こんな人生になるなんて、思いもよらなかったわ。
結婚したころはねぇ、こんなところで終わるなんてねぇ。
いやー、昨日まで騙されてたわぁ。
前途有望な大卒の男とねぇ、結婚したのに。」
そんな祖母も鬼籍に入りました。
「昨日まで騙されていた」なんて言い草は、愛ですね。
コメント
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