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新海誠作品を連続で視聴しているのは、無料視聴期間が終了してしまうからですね…。
前回の『君の名は。』が2016年で本作が2019年。
見た目にもCGの精巧さが増していて、この世界も日進月歩なんだな、と。
いや、それとも単に予算が増したからとかでしょうか。
いずれにせよ、これくらいになると背景などは実写なのかアニメなのか分からないレベルですが、かえって不自然に見えるようなところもあり、不気味の谷ではないですがどのあたりの画が我々はアニメとして受け入れられるものなのか、興味深くはあります。
まあ、そういうのも時代とともに変わるものだろうとは思いますが。
舞台装置として、『君の名は。』では飛騨の奥地にあった神社は、本作では歌舞伎町の一角に残っている廃ビルの屋上です。
同じようにそこが異世界的なところと繋がっていて、そしてそこと繋がれる存在としてのヒロインの女の子がいて、そしてそれを知っている主人公である僕、みたいな。
そういう僕と彼女の関係が、いきなり「世界の終わり」的なところと繋がってしまうのがいわゆるセカイ系と呼ばれる作品なのだと、方々の読み物で承知しています。
そして、そこがウケているのだろうとも思うのですが、冒頭で、誰も信じないだろうけど僕らはセカイを変えてしまった、みたいな告白が入るのは、一般ウケをさせるにはそういう導入はやはり必要だということなのでしょう。
確かに首都を水で沈めてしまうわけで、それ相応のエクスキューズは必要ですね。
なので最終盤で倍賞千恵子さんの老婆に、もとに戻っただけ、と言わせて、最後にまたそうであったとしてもやり過ぎちゃう?という声にも応えている、と。
ただ、前作同様、主人公の心の動きはよくわかりません。
拾った拳銃でお尋ね者になるあたりはお話としてやり過ごせますが、特に契機もなく運命の二人になっています。
事件を機に離れ離れになった後、数年後に満を持して再会するラストまで含め、そういうことにしたから、という決め事の中で淡々と進んでいっている感じがあります。
とはいえ、そういうセカイのお話でこれがお約束なのだ、というのであれば、それを受け入れることにしましょう。