テイスティ高橋『プチ移住 月2万円で手に入る! in 京都 』読了。
本に載っている著者の肩書は「プチ移住体現ライター・随筆家」というものですが、体調や親の介護のこともあり50代半ばの早い時期にリタイアをされた元サラリーマンの方です。
出版時点で70歳ということで、心身ともに自由になるリミットが近づいてはいるものの、それまでに人生を楽しんでおきたいという思いが溢れています。
人生100年時代だし京都には住んでみたいけど完全に移住するのはちょっと、という人に向けてのTipsが詰まっていますね。
ご自身の住んでいる太秦の物件についても、単に「太秦は映画村のあるところで~」というだけでなく、バス一本で東山にも中心部にも行けるのにワンルーム賃貸が月2万円ですよ、なんていう紹介の仕方はかなり実践的です。
これなら考えてみても良いかな?なんていう人も多いのではないでしょうか。
ただ、ミクロ面ではこういう人生ハック的なものは良いでしょうけれども、マクロ的にはどうなのか、というのはどこまでもつきまといます。
行政からしたら、何も生み出さない70代の定住するわけでもない半移住者というのは歓迎されざるものでしょう。
自分たちのことしか考えない団塊の世代の生き方とはこういうものだ、とまで言ってしまうのはさすがに膨らませすぎかもしれません。
でも、得意げに「月に20万の年金ぐらしでもこんなに充実した生活が送れますよ」みたいな言い方をされると、手取りが20万に満たない現役世代はどういう思いを持つだろうかと、ちょっとモヤりますよね。
それもどういう事情があったのかわかりませんが、独身なので介護(これも母上はグループホームに入居できているので自分がメインでやらなければならないわけではない)のほかは気ままに動けるご身分となると、次世代を作ることもなく福祉タダ乗りやんけ、の印象は拭えません。
そういったマクロ面での憂慮を除けば、少し京都で暮らしてみたいと思う人にとっては役に立つ情報が満載です。
「mixiで京都愛好者の人たちとつながる」みたいなのはさすがに今日では難しいかもしれませんが、新幹線での移動はジパング倶楽部で、とかいうのは実際に経験している老人ならでは。
さすがに「ぷらっとこだま」で東京⇔京都は辛いと思いますしね。
まあ、これも現役世代は使えない割引ですが。
また、賃貸物件を契約するまでの話に結構紙幅を割いていて、オーナーの側を向いて仕事をしている不動産屋に憤慨していますが、これまでの人生であまり不動産と関わってこなかったのかな、というか、あまり物事を反対側から見ることが出来ない方なのかな、という印象はあります。
オーナーからしたら、よほど競争力の衰えた物件でなければ(当時)70近い独身男性になんて貸したくないのは当然じゃないですか…。
ともあれ、プチ移住の定義というか、オススメの住まい方として、賃貸物件での更新1回を含む4年で一区切りをつける、としているのは、結構真理を突いているなと感じます。
自分は京都には5年ほどの滞在でしたし、プチではなく拠点を作っての家族揃っての移住でしたが、まあ、3年目くらいでもうそろそろお腹いっぱいかな、という感じはありました。
以前にも書いたことがありますが、京都という街は、よそものをよそものとして遇する術は持っているのですが、4,5年も経ってくると、こちらも街のことをそれなりに分かってくるし、そうすると向こうもこちらをよそものとしては少し扱いづらい、こちらもよそものとして扱われても見るものすべてが新鮮です!みたいな空気を出しづらい、みたいに関係が微妙な感じになってくるのですね。
著者の言うように、プチ移住のその4年で集中してメジャーどころの場所・イベントを制覇する、くらいの心持ちで良いのではないでしょうか。
京の都を堪能するのにミーハーかも、などと臆することも無く、清水も知恩院も金閣・銀閣も嵐山も、葵祭も時代祭も祇園祭も楽しんだら良いのです。
別に京文化の深淵を、などと大上段に構える必要はありません。
たとえそれを求めたとしても、三代を経ないと京都人とは見なされないのです。
で、そのためだけに自分の子ども・孫を財政破綻自治体で育てる決断ができるのかと言われたら、自分の場合はまあ、できませんでしたね…。
(京都は子どもへの医療費の補助も限定的。保育園も入るのが難しい。)
じゃあ、適当な頃合いで切り上げようか、と。
子育て世代にとってはそういう決断のときがありましたが、団塊世代にとっては、そんなタイミングが来なくても、どこかで人生が終わる、ということかもしれません。