野口悠紀雄『リモート経済の衝撃』読了。
2022年1月の本です。
戦前の内容、というと雑に過ぎるかもしれませんが、少し古さも出てしまっているな、という印象も持ちました。
例えばリモートワークに欠かせないZOOMについて、その株価がGAFAMの伸びより高い、とかいう形で紹介しています。
それから、クラブハウスの可能性を議論していたりもします。
うん。いつの時代の話だ?みたいな感になったりします。
でも、まだ刊行から1年経っていないのですね。
このところ、コロナ前の日常がうまく思い出せなくなってきたりするのと同時に、ウクライナ危機以降の動きも大きすぎて、なんとか現状を追いかけつつの日々ですが、こんな形でふと少し前の思考に出会うと、その変化に改めて驚きます。
とはいえ、本書の全部が全部的外れだとか古くなっている、とか言うつもりはありません。
コロナ禍での特殊事情による一時的なもの、それを契機に可視化されただけにすぎないもの、もしくは変化が加速したもの、の峻別が必要ですね。
変化のさなかにあってはすべてを見通すことなどできないものの、方向性はチェックしておいたほうが良いのでしょう。
その意味でいうと本書の視座は、リモート化自体は決してコロナ禍における一時的な事象ではなく、というかそうすべきではなく、これを通して生産性をあげ日本経済を立て直そう、というもの。
副題に「日本経済再建のラストチャンス!」とあるとおりです。
主語が大きいのはそういう本なので仕方ありませんが、でもあえてそれにノッてみるなら、段々とリモートワークも縮小している現状からすると、一見日本経済はそのラストチャンスもスルーしているようにも見えます。
ただ、それこそ「リモート」のなかでも、一時的だったものとそうでなかったものとの峻別が必要なのでしょう。
例えば本書では、アジェンダのない会議が新規事業のインキュベーターになるという前提から、こういうのはリアルの会議でないと難しいのでは、という意見に対し、オンラインなら他の組織の人とも出会いやすいからむしろ活用できる、という論陣を張っています。
「ツイッターで出会った同業者とビジネスが始まった」とか「異業種交流会に参加したが特に有用な出会いもなかった」みたいな話を聞くと、この意見には頷きたくもなる一方、膝突き合わせる関係の中で出来上がるものもあるしなぁ、という思いも出てきます。
自分なりに考えると、リアルでの会議のほうがテンションが共有されやすいというのが要素として大きいのかな、という気はしていますが。
また、学びについての話題では、セミナーはオンラインのほうが適している、という主張でこれには賛成です。
リアルの授業では質疑応答の時間を設けてもまったく反応がなかったのに、オンラインでチャット欄を開放したら、議論が活発になった、なんていう話はよく聞きますからね。
まあ、これも講演者の姿勢一つで変わるもので、リアルタイムでチャット欄での書き込みに反応するとか、そういう要素が多分にあるのでしょうけれども。
このあたりは、投げ銭・スパチャのカルチャーが密輸されているような感もあります。
でも、大学がすべてリモート化するのかと言われたら、それはそれでつまらないような。
単に学位を提供するという機能だけを考えたらそれで良いのでしょうけれども。
出会いだとか思い出だとか、そういう高級遊園地的なものは本来の機能ではないでしょう、というのが野口先生の主張ですが、やっぱり味気ないですよねー。
当人たちが意識するしないは別として、大学とは将来の伴侶を見つける、もしくは見つける訓練をする場ではないでしょうか。
そういう意味では社会人のリスキリング向けにはオンラインが最適という意見には賛成です。
とはいえ、先生が最も危惧しているのは、日本では遠隔医療・オンライン診察がかなり限定的な展開となっている事例からも分かる通り、規制によって本来進むべきイノベーションが進まないこと。
ただ、規制産業の権化たる医療の話は極論になりがち。
少しずつ少しずつ、常識の側の変化とともに法規制が変わり、それによって現場も変わっていくのでしょう。
「リモート」をキーに未来を少し予想し交通整理をしてみたという一冊。